「日本は朝鮮人を満州に追い出して韓半島に住もうとした」(1)
植民地時代を眺める目は大きく2つに分かれる。 「植民地収奪論」と「植民地近代化論」だ。 しかし旧建設部の公務員、国土開発研究院長、キョン園(キョンウォン)大総長を歴任した金儀遠(キム・ウィウォン)博士(78)はこれとは異なる主張をする。 金氏は「日帝が韓半島を開発したのは、究極的に朝鮮の人たちを満州に追い出し、自分たちがそこに住もうとしたからだ」と述べた。
金氏によると、日本は1943年の秘密国土計画「中央計画素案」で、京城府(ソウル)南の郊外、日本の岡山と福岡の3カ所を大東亜圏の首都移転候補地に決めた、としている。 日本人は韓半島と満州に、朝鮮人は満州に移住させる計画も立てた。 金氏は「日本の元官吏らとの面談で、首都移転候補地の京城府郊外は韓国外国語大竜仁(ヨンイン)キャンパス辺りであることを確認した」と述べた。