「金正雲氏、7歳からベンツを運転」…藤本健二さんインタビュー(3)

「金正雲氏、7歳からベンツを運転」…藤本健二さんインタビュー(3)

2009年06月06日15時41分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
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  --金正日委員長に初めて会ったのはいつか。

  「1982年、平壌に初めて開設した安山館で働くときだった。食堂責任者が急に20~30人前の寿司を準備しろと言うので準備して、夜明けの2時に呼ばれたので行った。海が見える所に行ったが、そこが元山(ウォンサン)招待所だった。軍服の軍人たちが30人いて、中間に一般服を着たある人がいた。その中で顔を見る余裕もなかった。緊張して寿司を作ったが、一般服を着た人が尋ねてきた。「この魚は何か」それで通訳がまぐろだと答えた。当時、まぐろは北朝鮮に初めて紹介されたものだった。翌日、平壌普通江(ピョンヤン・ポトンガン)ホテルに戻ってきた。そこで新聞を見て金正日委員長がいたことを初めて知った。週末には幹部たちを常に招待所に呼ぶ。直接、はきはきとした声で今の業務状態を点検する」

  --高位階層はどんな所に住んでいるか。

  「幹部たちは立派な住居を受ける。一階すべて与えられる。家の両端にトイレがある。金正日委員長の邸宅は何か所にあるが、大同江招待所の場合は家の構造が、ベンツが到着すればどこの玄関でも1階で通じるようになっている。玄関がかなり広い。平壌にある彼の邸宅に行ったことも何回かある。そこではもちろん正雲氏をよく見た。正雲氏は13年間数え切れないほどたくさん会った。イギリスから布を持ちこんで体に合うように専属裁断師が服を作っていたし、私もそこで服をあつらえてもらって着た」

  --張成沢党行政部長が正雲氏を推しているというが。

  「張成沢氏は北朝鮮のナンバー2だ。どれだけ高い職責を持った人も彼を参謀長同志と呼んだ。誰も歯向かうことができなかった。私は張成沢氏にかなり世話になった。家族どうしカジノ(バカラ)ゲームをしても常に張成沢氏が参加した。金正日は青軍、夫人の高英姫は紅軍で、張成沢氏は紅軍でゲームをしたが、いつも勝つ方だった。10万円をチップに変えて点数をたくさん稼ぐ人が先に現金に換えるゲームを楽しんだ。しかしいつも張成沢氏が1位か2位で、お金をたくさんもっていった。朝5時まで金正日委員長と2人でゲームをしたこともあった。金をたくさん持っている金正日委員長に勝つことはできなかった。昨年10月、金正日委員長が倒れた後、張成沢氏が将軍代行に出たという報道を聞いて最も妥当な対応だと思った。王子たちがまだ幼くて政権を任せる状況ではないからだ。一説には金日成が看護師との間に生んだキム・ヒョン(38)も後継者に取り上げられているが、彼のことは見たことがない。全然関連がないという話だ」

  --金正日委員長と高英姫氏の関係はどうだったか。

  「高英姫さんはとてもソフトな人だった。2人の間の関係もとても良かった。だから子供たちとの関係も良かった。乳がんにかかったが、フランスの病院で完治し、後に脳梗塞で死亡した。2人には本当に世話になった。料理が終わるとはやく席に座って一緒にご飯を食べなさいと言ってくれた。金正日委員長は高英姫さんがそばにいるときは特に権力を持っていた。今、揺らいでいるが、金正日委員長の死後には大きな混乱が予想される。戦争をすれば北朝鮮体制では10日ももたないだろう」

  --どうして北朝鮮脱出を決心したか。

  「1999年、中国北京のホテルで日本警視庁の部長に電話をしたことが問題になった。事実上、警視庁は私を見守りながら近くに詰めていた。言わば保護の下にあったのだ。警視庁は1998年、私を北朝鮮に行かせないようにしたが、振りきって北朝鮮に戻った。警視庁部長は私が外国に出たら安否だけは伝えてくれと言ってきた。ただ元気だと安否を警視庁に伝えただけだった。それで私がしたことは間違いではないと確信して北朝鮮へ行ったのだ。しかし盗聴され、私は家族と一緒に自宅に軟禁させられた」

  --あなたの家族はどうしているか。

  「息子は19歳。娘は17歳だ。私が(家族たちを置いて来て)悪いことをした。北朝鮮脱出以後、家族たちは2年ほど順川市の炭鉱に送られて仕事をさせられたという話を聞いた。心から反省した。私はどうせ外国人だから家族たちは何もされないと思った。家族は今は平壌に戻っている。平壌で家族たちは私に受信者負担電話で時々電話をかけてくる。今年1月にも話をした。しかしここでは電話はできない。私は平壌にいる家族に手紙は送っている。あの時1999年から2000年4月まで1年6カ月間、自宅軟禁させられなければ今も北朝鮮にあったはずだ。軟禁は金日成誕生日が過ぎて解けたが、北朝鮮脱出を決意した。私は金正日委員長や正雲氏を恨んでいない。自由が拘束された経験をすると、もとのように暮らすことはできなかった。毎週3回配給は出たから生活には問題なかった」

  --どうやって脱出したか。

  「海外食材調達を口実にした。普段、食材は海外から調達した。東京の築地市場で購入し、飛行機で成田から北京を経由した。木箱に氷をいっぱい満たして1200キロのまぐろ1匹を買い入れた。北京にはいつでも出入りできたし、日本にもたびたび来た。それで日本から持ってきたメニューのプログラムを見せて脱出を試みた。予想どおり北海道のウニ丼を見せると金正日委員長が早く行って来いと言った。必要な経費を言うと、金正日委員長は即“OK”サインを出してくれた」

  ◇藤本健二=東京銀座の寿司職人だった。1982年8月、平壌市内飲食店安山館で日本の料理人の求人に毎月50万円の給料をもらうということで北朝鮮に入国した。1988年から金正日国防委員長の最側近料理人となった。金委員長が直接、盛大な結婚式と披露宴を準備してくれて、結婚した北朝鮮女性の間に1男(19)、1女(17)がいる。食材料調達のために日本、シンガポール、マカオ、北京などを出入りする2001年4月、食材を買い求めると欺いて金正日委員長のそばを離れた。
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