【噴水台】クマの人形

【噴水台】クマの人形

2009年02月27日14時19分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
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  彼が身を土に埋めて天国に逝かれてからもう1週間が経ちました。しかし私が最後にお会いしたのは、6カ月前、その方が病院に入院しに家を出たときだったようです。私が誰かって? 小さなクマの人形です。住まいはソウル恵化洞主教館の寝室。故金寿煥(キム・スファン)枢機卿の寝室の写真に接した方々の中にはベッドの枕元に座った私を覚えている方もいるでしょう。ちょっと怪しげに。

  自己紹介からしなくちゃいけませんね。白布の肌に体の中は綿と布きれが詰まった平凡な縫製人形です。私たちクマの人形たちが皆さんと親しくなったのは100年余り前です。米国26代大統領だったセオドア・ルーズベルトが1902年11月のある日、狩りに出ましたが1匹も獲ることができませんでした。ある側近が幼いクマを生きたまま獲って来て、銃で撃てと勧めました。ルーズベルトは「フェアプレー精神に反する」とし、逃がしてやるよう言いました。この話が掲載されたワシントンポストの漫評を見たニューヨークの雑貨店の主人モリス・ミッチョムさんがホワイトハウスに手紙を送ります。「クマの人形にあなたの愛称“テディ”(Teddy)を付けさせてくれ」。大統領の許しを得たミッチョムさんは「テディベア」を発表しました。

  その後、私たちは人間たちと哀歓を共にしました。1912年、タイタニック号が大西洋に沈んだときは遺族にプレゼントする黒いテディベアが登場し、第2次世界大戦直後には物資不足で腕が短くて胴が小さなデザインに変わりました。70年代の石油ショックで米国、ヨーロッパの玩具メーカーが廃業し、私たちの生産地はアジアに移ってきました。見た目と違い年はとっていると思われるこの地の女工たちが縫製玩具を作り始めたのも、おそらくそのころだったと思います。

  今は大人たちの中でも私たちを大事にしてくれる方が多いです。特にある方の顔が浮び上がるのですが、随筆家ピ・チョンドゥク先生です。ピ先生は2年前、97歳で永眠するまでクマの人形3匹を寝室に残しました。目が閉じないプラスチックの人形の目が労しく、寝床につくとき、眼帯で隠してあげていました。

  枢機卿が私をベッドに置いたのも、どんなに小さなことでも大事に思う童心の目を持っていたからではないでしょうか。「あなた方と皆のために」全人生を捧げた意志も、とことん自分を下げようとできるのも、子供のように泣いて笑える、無垢な純粋さから出たものではないでしょうか。今日も私がほほえむのは彼の温もりが私の身体に残っているからです。
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