<歴史コラム>満洲は、独島は、私たちにとって何か(2)

<歴史コラム>満洲は、独島は、私たちにとって何か(2)

2008年08月10日15時18分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
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  婚礼をするとき、ここでは親迎式をする。この地域では婚姻の日、花嫁宅へ行き、ひとまず婚礼をし、直ちに花嫁を連れて新郎宅に来るというものだ。もし新郎宅が遠ければ中間に旅館に泊まる。これは明らかに南側で花嫁宅で婚礼を行い、数日後、新郎一人で本家に帰る風習とは違う。女は実家で1~2年過ごし、その後、嫁ぎ先へ行く。朝鮮で親迎は定着しなかった。ところでこの地域はそのようにしていた。

  それに風俗もみだらだった。妻子たちに知れないように姦通することはよくあることで、官職者のやもめもかなりみだらだったという。南側で両班のやもめたちが再婚をしないだけなく、烈女に命をかけたこととは対照的だ。また朝鮮で厳禁する牛の屠殺もここでは普通に行われた。ノ・サンチュは結論的にこのすべてのものが胡風だと言った。蛮夷風俗だということだ。

  ノ・サンチュは同じ時期、白頭山祭祀に参列した。このとき彼は白頭山を我々同胞の「祖宗山」だという。我々にとって先祖のような山ということだ。それで代々ここに壇を設置して祭祀を執り行ったといった。本来、王が祭祀をしなければならないが、都合で甲山副使が代わりをするシステムだと述懐した。

  ノ・サンチュはジレンマを感じた。白頭山は確かに我々の山なのに、この地域の風俗はどうしてこうなのかというのだ。彼の歎息はまた面白い。単一民族だと思えば歎息は当然だ。しかし異なる風俗が必ずしも問題になるだろうか。それはまた異なる可能性だといえる。高句麗、渤海以後、別に縁故がないようでも、知ってか知らずか縁がずっと続いたという話ではないか。だから朝鮮末期と日本強占期のときにその多くの人が満洲に行くようになったわけで、どんな理念や学説より人々が現在そこに住んでいるという事実が重要になってくる。独島(トクト、日本名・竹島)も同じである。

  
<歴史コラム>満洲は、独島は私たちにとって何か(1)
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