<歴史コラム>満洲は、独島は、私たちにとって何か(2)
婚礼をするとき、ここでは親迎式をする。この地域では婚姻の日、花嫁宅へ行き、ひとまず婚礼をし、直ちに花嫁を連れて新郎宅に来るというものだ。もし新郎宅が遠ければ中間に旅館に泊まる。これは明らかに南側で花嫁宅で婚礼を行い、数日後、新郎一人で本家に帰る風習とは違う。女は実家で1~2年過ごし、その後、嫁ぎ先へ行く。朝鮮で親迎は定着しなかった。ところでこの地域はそのようにしていた。
それに風俗もみだらだった。妻子たちに知れないように姦通することはよくあることで、官職者のやもめもかなりみだらだったという。南側で両班のやもめたちが再婚をしないだけなく、烈女に命をかけたこととは対照的だ。また朝鮮で厳禁する牛の屠殺もここでは普通に行われた。ノ・サンチュは結論的にこのすべてのものが胡風だと言った。蛮夷風俗だということだ。
ノ・サンチュは同じ時期、白頭山祭祀に参列した。このとき彼は白頭山を我々同胞の「祖宗山」だという。我々にとって先祖のような山ということだ。それで代々ここに壇を設置して祭祀を執り行ったといった。本来、王が祭祀をしなければならないが、都合で甲山副使が代わりをするシステムだと述懐した。