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【コラム】金宇中の北朝鮮経験(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.09.12 16:05
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バックチャンネルの輝かしい業績が、金大中政権の2000年の南北首脳会談と現代グループの大規模な対北朝鮮事業だ。吉田猛という在日同胞企業家は金日成が信頼する友人の息子だった。父の友情は息子の世代につながり、吉田猛と金正日は友人になった。吉田猛は90年の金丸信と金日成の会談、95年の日本のコメ15万トン支援、2002年の小泉首相の訪朝実現の隠れた功労者だった。現代グループ会長の鄭周永(チョン・ジュヨン)は吉田の人脈に着眼し、吉田-李益治(イ・イクチ、現代証券会長)ラインを利用しながら金剛山(クムガンサン)のような大きな対北朝鮮事業を手掛け、彼を金大中大統領につないだ。2000年6月の南北首脳会談は吉田-朴智元(パク・ジウォン)ラインの歴史的な作品だ。

外国にもバックチャンネルが歴史を作った例は多い。62年のキューバミサイル危機の解決も、ジョン・スカリーというABC放送の国務省出入り記者、ソ連大使館のKGB(ソ連秘密警察)支部長とつながるバックチャンネルで始まった。こうした縁でスカリー記者は後に国連大使を務めた。69年の西ドイツのブラント政権発足直後、バレリー・レドネフというソ連文芸誌リテルトルナヤガゼッタの副編集長がインタビューを口実に、ブラントの外交特別補佐として東方政策を設計したエゴン・バールに会い、ソ連首相アレクセイ・コスイギンの密書を伝えた。ソ連の記者のバール接触は翌年、西ドイツとソ連の関係に大きな線を引いたモスクワ条約で初めて実を結んだ。モスクワ条約でブラント政権の東方政策は高速疾走し、統一の土台を固めた。

 
このような事例だけでも、体制間、国家間の関係が長い膠着状態にある時、バックチャンネルが魔術師のような役割をする場合もあることが分かる。朴槿恵(パク・クネ)政権は水面下のラインを極度に忌避する。昨年7月末、北朝鮮に広い人脈を持つ在米政治学者パク・ハンシク教授(ジョージア大)が金養建(キム・ヤンゴン)-元東淵(ウォン・ドンヨン)ラインの重要なメッセージを伝えたが、青瓦台は黙殺した。南北関係の特性上、バックチャンネル忌避は賢明な選択ではないようだ。金宇中の事例で見られるように、対北朝鮮密使には企業家が適任であり、韓国にはそのような役割ができそうな企業家もいる。公式ラインでふさがった南北関係を突破できなければ、第3の道を模索する時だ。

金永熙(キム・ヨンヒ)国際問題論説委員




【コラム】金宇中の北朝鮮経験(1)

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