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<取材日記>大統領演説に国民は戸惑い

2007.01.25 09:51
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青瓦台の参謀らもやめさせようとしたという。1時間の演説で扱うには内容が膨大だったからだ。しかし盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領は23日、それを押し通してテレビ生中継新年演説を強行した。演説途中、原稿を見られる装置(プロンプター)も使わなかった。

盧大統領はこれまで自他ともに認めるする「マルチャン」だった。討論の達人という意味だ。2002年の候補時代に行ったシンポジウムで、しゅうとの左翼活動経歴を問題視する相手の口を一言でふさいでしまった。「それでは私に愛する妻を捨てろということですか」また就任時、検察改革が思った通りに進まず「検事との対話」を自ら要望した。「このくらいになれば無礼者ということでしょう?」という彼の言葉は流行語になった。

 
23日の演説もこうしたマルチャンの自信から始まったことか。「参加政府がどれだけ仕事をしたかは、一瀉千里に説明することができる」と考えることもできる。しかし現実はそうではなかった。期待させて演説を始めた盧大統領は「書いて来たが、あとにわまわします」「言いたいのですが、時間がありません」を20回ほど繰り返した。どん詰まりになって「何分残ってます?」と尋ねる盧大統領は少々あわてていた。

しかしその瞬間、大統領より何倍もあわてた人々がいた。まさにテレビの前の国民だ。大統領演説が10分を超えると、新聞社には電話が鳴り続いた。演説内容に戸惑いを感じるという内容だった。

「民生問題は自分が起こしたのではないなんて…それが大統領が世の中に言う言葉か。大統領は無限の責任を負わなければならないのではないのでしょうか」(興奮して震える声で50代の男性)。

演説が40分ほど続くと形式についても戸惑いを隠せないといった電話がかかった。「大統領新年演説なら『このようなことをし、あのようなことをする』とこれからの話をしなければならないのではないでしょうか。どうしてしきりに『あとまわしにする』という言葉ばかり言うのか」(平凡な主婦だと明らかにした40代女性)。

自信も度が超せば傲慢に聞こえる。傲慢な言葉は聞き手の心に壁を作る。聞き手を無視することのように映るからだ。聞き手が拒否感が感じればそれを説得するのは難しくなる。

23日、盧大統領の演説が国民を説得するのに失敗したのはこのためだ。

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