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【時視各角】金正恩答礼の訪問カード、無駄に使うな

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2018.12.11 10:35
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一国の首脳の敵国訪問はなかなかもって大胆な決行だ。自分を嫌悪する者しかいないところに訪ねて行くのは死地に飛び込む冒険だ。それだけでなく、この前まで悪魔化した人物と突然和解したらどんな内部反発を受けるかも分からない。

こうであるにもかかわらず、敵陣に飛び込んで世の中を驚かせた首脳は往々にしていた。代表的な人物が1959年9月、2週間も米国を掻き回したニキータ・フルシチョフ元ソ連書記長だ。彼は容貌や開放的指向が北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長にそっくりだ。当時、米国には彼を排除しようとする人物が2万人余りいたというのがFBI(連邦捜査局)の推算だ。それでも彼は「米国の本来の姿が見たい」と言って、ドワイト・アイゼンハワー大統領に招待を申し入れ、結局その志を貫徹する。

 
身長160センチに90キロを超えるフルシチョフが到着すると、米国人は滑稽な風貌の彼を下に見た。

だが、徐々に米国人は彼の才覚とユーモアに夢中になっていった。彼は米議員に会って「いぼができてどうすることもできないように、共産主義も同じ」と言うが早いか、ホットドッグを食べながら「宇宙旅行ではソ連のほうが上だが、ソーセージ作りは米国が一枚上手だ」と話して周囲を笑わせた。彼の行く先々では百人余りの記者が集まり、一挙手一投足が話題になった。旅行が終わるころにはソ連に対する米国人の反感が和らぎ、米ソ間に平和が宿るのではないかという楽観論まで頭をもたげた。

だが、その後の現実は違う状況だった。フルシチョフの訪米後、米ソ関係は改善されるどころか1961年のベルリン事態に続き1962年のキューバ危機で核戦争直前まで進む最悪の状況に転落した。反面、ハッピーエンドで終わったケースもあった。1972年に電撃的に行われたリチャード・ニクソン米大統領の訪中がそのような事例だ。彼は北京空港に到着した時、期待していた歓迎の人波が見えず大きく失望したという。だが竹のカーテンを破ったこの歴史的訪中で、20年以上塀を隔てていた両国は6年後に正式国交を結ぶ。

何が違ったか。フルシチョフの場合、彼がいくら良い印象を残しても超強大国間のヘゲモニー競争は回避できなかったということだ。反面、ニクソンの訪中時はソ連という共通の敵を持つ米中双方が手を握る必要があった。ある指導者の敵国訪問だけでは現実政治の大きな流れを変えることができないということだ。

年内成功については不透明だが、いつか金正恩の答礼訪問が実現すれば、フルシチョフの訪米時と似たような光景が再演されるだろう。彼の気さくに見える魅力攻勢にメディアが夢中になり、すぐにでも統一ができそうな集団催眠にすべての国民がかかってしまう可能性がある。だが、フルシチョフの時に目撃したように、金正恩の答礼訪問だけでは核爆弾は一つもなくならない。金正恩の答礼訪問に夢中になって現実を忘れてはいけないというのが歴史の教訓だ。

だから答礼訪問が先送りされることは現政権にとっても良い結果になりうる。金正恩答礼訪問は興行が確実な保証小切手だ。フルシチョフが米国に行った時も、当時アイゼンハワーの支持度は10%も上昇した。だが、肝に銘じるべきことは、答礼訪問の効力もたった一回で終わってしまうという事実だ。何でも簡単に飽きてしまうのが大衆だ。金正恩の南側訪問も違うはずがない。

したがって、答礼訪問カードは慎重に使われなければならない。およそ良いカードというものは最後まで残しておいて、ここぞというときに使うものだ。たとえば、北朝鮮の非核化動向が本格化して南側の経済的支援が必要な時に彼がソウルに来れば、それほどカードを切るのに最適な時もないだろう。

非核化に対する何の動きもない今はその“時”ではない。政府がこのように重要なイベントを焦って政治的人気挽回のために無駄に使ってしまえば歴史に罪を犯すことになる。

ナム・ジョンホ/論説委員

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