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【グルメ】日本にも紹介されたソウル広蔵市場“麻薬キムパプ”を大解剖(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2011.10.26 16:46
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“麻薬キムパプ”1号店は、日曜日を除いて毎日午前6時から翌日午前2時まで休みなくのり巻きを販売している。たまに作り置きしてあったのり巻きが完売して早く店を閉める日もある。ヤンスクさんと個人的に話ができる時間は、周辺の反物商店が閉まった午後7時から午後9時の間だけだという。ちなみに2号店は年中無休だ。

広蔵(クァンジャン)市場の平日夕方。シャッターをガラガラと下ろす音が聞こえ始めると、慌ただしかった市場にはあっという間に闇が立ち込める。おなかをすかせた客が食べ物横丁に集まり騒がしくなってくると、“麻薬キムパプ”1号店の辺りはしんと静まりかえる。それでもユさん姉弟には休む暇がない。帰宅途中にのり巻きを買って行く客が途切れることなく訪れるからだ。

 
忙しい合間を縫って、ヤンスクさんに“麻薬キムパプ”がどのように始まったのか聞いてみた。

「母が京畿道古川(キョンギド・コチョン)からのり巻きを売りに東大門(トンデムン)に出たのが始まりでした。私が幼い頃は、運輸業をしていた父の収入が良くて、良い暮らしをしていました。私が小学校5年生の時に父が急死したため、母が生活前線に立つようになったのです。2年間、1日も休まずに東大門の商人にのり巻きを売り、そのお金を資金に今のこの場所を買いました。当時のお金で1間を700万ウォン(約47万円)で買ったそうです。このような行商の場所には番地がなかったのですが、昔からこの路地の行商用の場所42間には、すべてオーナーがいました。1間ずつ増やしていって、今の3間になったのです。母が賢明だと思ったのは、よく売れる食べ物を皆が見ている前で作ると真似されてしまうものですが、母は必ず家でのり巻きを作って持って行ったそうです」

“麻薬のり巻き”という商号は、比較的最近になってからつけられた名前だ。2000年代中盤、あるブローカーが“麻薬キムパプ”と紹介してヒットした。しかし“麻薬”という名前では商標登録できず、どのようにすれば元祖を守れるのか悩んでいるところだという。以前のようにあまり商売がうまくいかない市場では、麻薬キムパプのおかげで周辺の商人たちが生きていけるほど、のり巻きにはすごい威力がある。各自が 「私こそが元祖だ」と言い張り、しまいにはインタビューまで代わりをして混乱を引き起こしてしまう商人についてどう思うかと尋ねると、「もう気にしない」を首を振った。

元祖“麻薬キムパプ”は、未亡人のイ・サンフンさんと長女ヤンスクさんの絆のように固く巻かれている。

「当初は名もない行商人でした。毎日、朝起きると『(のり巻きの)味見をしなさい』と言う母を助けるほかなかったのです。母はその重いたらいを頭に載せてバスに乗って遠くに出て行くんです。あの時はたくさん苦労しました。1男3女を1人で育ててくれた母のおかげで、今、私ができるんです。妹や弟は皆、大学を卒業しました。私は母の仕事を助けるために行けませんでしたが…。20歳になった年、本格的に市場に出てきました。周辺の商人たちが“母娘のり巻き”と呼んで店名になったんです。のり巻きは手がかかり、包丁も使わなければならない食べ物なので、よく手を切ったものです…」。〔明日の(3)に続く〕


【グルメ】日本にも紹介されたソウル広蔵市場“麻薬キムパプ”を大解剖(1)

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    2011.10.26 16:46
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    1、イ・サンフンさんの息子、ユ・ジプンさん。2、同じ場所で40年。常連客の足は昼夜問わず途切れない。3、日本人観光客のカメラに写っているのり巻きの店。4、“麻薬キムパプ”はきざみタクワンやからしソースと一緒に食べる。
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