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仁川市立博物館70年、記憶の扉を開ける

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2016.04.01 10:30
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仁川市立博物館が1日、開館70周年を迎えた。1946年に地方自治体が公共目的で建てた初めての博物館だ。(写真=仁川市立博物館)
韓国初の公立博物館である仁川(インチョン)市立博物館が1日で開館70周年を迎える。

博物館は70周年を迎えて1日、記念式典とあわせて初代館長だった石楠・李慶成(イ・ギョンソン)先生(1919~2009)の胸像除幕式も行う。この日午後3時30分からは博物館ゆかりのものや思い出などについて話をするトークコンサート「イヤギ・ハンマダン」が開かれる。また、博物館の歴史と時代別遺物を展示した特別展「博物館70年、記憶の扉を開ける」を6月9日まで開催する。

 
仁川市立博物館は光復(解放)翌年の1946年4月1日、仁川市中区松鶴洞(チュング・ソンハクトン)1番地の当時の世昌洋行社宅跡に開館した。解放以降、地方自治体が公共目的で建てた初めての博物館だ。

初代館長には仁川出身の韓国美術第1世代評論家・李慶成先生が赴任した。だが、展示する物品がふさわしくなかった。博物館は米軍政庁と地域文化芸術家の協力を得て仁川郷土館にあった先史遺跡と開化期の遺物を持ち込んだ。日帝強占期に開館した朝鮮総督府博物館が解放されて正式名称を得られずに停滞していた間、借りた遺物と解放後に日本人が持ち帰れず税関の倉庫に積まれていた遺物など346点を集めて初めて展示した。

しかし、1950年の韓国戦争(朝鮮戦争)で建物が消失する試練にも遭った。当時、李館長は博物館所蔵品を包んで防空壕に移し、流失を防いだ。51年1月4日にソウルが陥落した際には主要な遺物を釜山(プサン)に移動させて国立中央博物館に保管し、遺物の相当数を守ることができた。

代表的な遺物一つが中国の宋・元・明時代の鉄製梵鐘だ。中国河南省で製作・使用されていたものだが、第2次大戦当時、日本が中国から強制的に奪い日帝武器工場だった富平(プピョン)造兵廠に持ち込んでいたものをかろうじて取り戻し保管していた。

その後、市立博物館は1953年4月1日中区済物浦倶楽部(チェムルポクラブ)に再開館し、1990年5月1日玉蓮洞(オンニョンドン)に現代式博物館を立てて引き継いできた。現在は韓国移民史博物館・黔丹(コムダン)先史博物館・松岩(ソンアム)美術館・コンパクト・スマート・シティなど4つの別館がある。所蔵遺物も開館当時の346点から1万点余りに増えた。最近では埋蔵文化財を発掘調査できる機関としても公認を受けた。

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