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「国債補償運動振り返ってみるべき時」

2008.11.07 10:10
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保寧(ポリョン)製薬グループの金昇浩(キム・スンホ、76)会長は会社の仕事をする際も常に国のことを心配する。

最近、同社前の庭には大型の太極旗(テグッキ、注:韓国の国旗)がはためいている。先月1日、創立記念日を迎えて金会長が高さ30センチの国旗掲揚台を設けたのだ。国の経済が厳しい状況で、太極旗を見ながら頑張ろうという意味だった。

金会長は世界金融危機の余波で、韓国企業の輸出も順調でないこのごろ、エネルギーを節約し紙1枚でも惜しむよう職員らを督励している。101年前に国債補償運動を主導した金光済(キム・クァンジェ)先生の追悼事業に情熱を注ぐのもそうしたことからだ。

 
最近金会長は金光済先生の故郷で自身の故郷でもある忠清南道保寧(チュンチョンナムド・ポリョン)に追慕記念碑を設け、墓地を再整備し、入口の道路を整える作業を終えた。金光済先生は、大邱(テグ)で国債補償運動を開始したことから、大邱出身と思っている人が多い。

追悼事業会は昨年6月、遺族と地域の有志らが集まって結成した。先生の愛国精神を受け継ぎ、地域発展のために力を集めようという趣旨だった。金会長はこの集いの顧問で、財政的なサポーターだ。

追慕記念碑には1907年2月21日に金光済先生が大韓毎日新報に書いた公告文「国債一千三百万ウォン補償の趣旨」が刻み込まれている。この文は、全国民が禁煙して節約したお金で、親日派の李完用(イ・ワンヨン)内閣が日本から借りた1300万ウォンを返済し、経済的な隷属から抜け出そうと訴える文で、その後、愛国運動を広げる契機となった。



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