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【コラム】芸術韓国の素顔(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.10.07 09:47
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かつて欧州の代表的な権力一族であるメディチ家は、結婚を政治的に利用し、結婚式や祝賀行事をその目的に合うよう一族の経済力と芸術的見識を対外的に誇示する機会としてうまく活用したことで有名だ。1589年にピッティ宮殿で開かれたフェルディナンド1世の結婚式公演は、華麗な舞台装置からして観客を圧倒した。火山が爆発する場面や怪物が火を吐く場面などが躍動的に再現され、後半には宮廷に実際の水があふれながら船が入ってくる姿を雄壮に再現して見せた。1600年メディチ家のマリー・ド・メディシスとフランスのアンリ4世の結婚式の祝賀公演では、それまで誰も試みることのなかった先駆的な方式の総合芸術を披露したが、それがまさに史上初のオペラだ。

国家的公式セレモニーが備えるべき重要なものは、新しさだ。今回の行事で物足りなさを感じるのは、技術的にも芸術的にも、斬新性が不足していたという点だ。そしてそれを穴埋めするために韓流スターが大勢活用された。つまりコンテンツの貧困をスターマーケティングで解決したということだ。公演のどこにもIT強国、文化強国の姿は見出すことはできない。公演ビジネスで最も大きな誘惑がスターマーケティングだ。固定的な観客動員力を担保するためだ。しかし国家で行われる大会は、興行さえ成功すれば良いという企画会社の公演ではない。世界に韓国のアイデンティティと文化を知らせる場でもある。ストーリーとコンテンツが優先だ。韓流スターを使うのをやめろという話ではない。順序が変わったということだ。

 
今回のアジア競技大会はセウォル号惨事以後、最初の重要な国家的イベントだった。国際的に地に落ちた威信を立てて自信を見いだせる重要なきっかけだったも同じだ。期待が大きかっただけに物足りなさがさらに大きい。これがまさに芸術韓国の素顔ではないか。派手だがコンテンツが不足している韓国の現実の話だ。恥ずかしくはあるが、今からでも遅くなかった。有名になったスターだけを食傷ぎみになるほどリサイクルするよりは、新しいコンテンツと人材を発掘しなければならない。低予算を言い訳に自画自賛に陥るならば、芸術韓国の未来ははるかに遠い。

ミン・ウンギ ソウル大学教授(音楽学)


【コラム】芸術韓国の素顔(1)

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