1908年の今日は義烈闘争という抗日独立運動の新しいページが開かれた日だ。 1904年10月、ダラム・ホワイト・スチーブンスは政府の同意なく日本によって外交顧問になり、外交権を奪って行った。 スチーブンスは、同じ朝鮮居住の米国人さえも「日本の役人よりも親日的」と非難するほど日本に仕えた親日派だった。
写真は、1907年ごろ、高宗(コジョン)が外交使節を迎える場所として使用した徳寿宮(トクスグン)漱玉軒(スオクホン、現在の重明殿)の前で、スチーブンス(左)と伊藤博文が密談を交わす場面を撮影したものだ。