1957年6月16日、岸信介首相は就任後に初めて米国を訪ねた。米日安保条約を見直す、との約束を獲得するためだった。ワシントン入りした岸氏は、直ちにアイゼンハワー大統領とのゴルフに臨んだ。当時のラウンドメンバーが、現在のブッシュ大統領の祖父、ブッシュ上院議員だった。会ったばかりでたちまち意気投合したそれらは、ラウンドの後、一緒にシャワーを浴びたりもした。
それ以降、岸氏は米国の支援のもと、自身の政治生命をかけた米日安保条約の改定を貫徹した。そして、ほぼ50年の歳月が過ぎた。今回の舞台の主人公は岸氏の外孫・安倍晋三官房長官だった。安倍氏は「北朝鮮のミサイル事態」の指揮棒を握った。「卒業」を控えている小泉純一郎首相の代わりに、事実上、首相官邸のオーナーの役割を果たした。
そうした安倍氏が多少の文句修正はあったものの、自身が脚本を書いて演出した国連安保理決議案を貫徹できた力の源泉は、外祖父の友達であるブッシュ上院議員の孫、ブッシュ大統領だった。米日の強力なチームワークのおかげで、安倍氏は「日本外交最大の快挙を成し遂げた」との賛辞を聞いている。両家門の深い友情の勝利だ。