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執務室には金正恩の写真…金寛鎮氏がまた「救援登板」(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.06.02 10:01
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金寛鎮(キム・グァンジン)新国家安保室長(65)は普段から北朝鮮に焦点を合わせた言動で有名だ。

2005年4月に休戦ライン南西部を担当する第3軍司令官に就任した直後から国防部長官時代まで、執務室には常に北朝鮮軍の責任者の写真をかけていた。第3軍司令官時代には当時の北朝鮮第2軍団長だった金格植(キム・ギョクシク)の写真を、合同参謀本部議長と国防部長官時代には執務室に金正日(キム・ジョンイル)、張成沢(チャン・ソンテク)、金英春(キム・ヨンチュン)(当時の総参謀長)の写真をかけておき、毎日見ていた。今は金正恩(キム・ジョンウン)第1書記と黄炳瑞(ファン・ビョンソ)総政治局長の写真がある。

 
「敵将の考えを読むためには常に顔を合わせていなければいけない」という考えのためだ。「北側は私が何をするかすべて知っている。私が遊べば北の指揮部が別の考えをする可能性がある」とし、土曜日も休まなかった。このため“レーザー・キム”と呼ばれるようになった。北朝鮮の挑発に断固対応すべきだと強調する時、目から火がでるようだとして、後輩が付けた別名だ。

その彼が国家安保のコントロールタワーを引き受けることになった。セウォル号沈没事故と金章洙(キム・ジャンス)前安保室長の突然の交代が、金氏の進路をまた変えた。3度目の救援登板だ。当初、青瓦台(チョンワデ、大統領府)は金前室長の後任に李相熹(イ・サンヒ)元国防長官を考えていた。しかし李元長官は辞退した。金氏も当初は断っていたが、結局「青瓦台の決定に従う」という方向に立場を整理した。

3度の救援登板とも予期せぬ事件がきっかけとなった。最初の登板は2010年12月の延坪島(ヨンピョンド)砲撃戦の直後だった。砲撃戦直後、軍の対応が消極的だったという世論が形成され、陸軍士官学校1年後輩の金泰栄(キム・テヨン)国防部長官が交代させられた。合同参謀本部議長を終え、2年9カ月以上も予備役大将だった金氏を李明博(イ・ミョンバク)大統領が国防部長官に起用した。予期せぬ人選だった。長官時代、金氏は強硬な声で注目を浴びた。「撃とうかどうか尋ねず現場指揮官が対応すべきだ」「北が挑発する場合、原点と支援勢力、指揮勢力まで焦土化させろ」と主張した。


執務室には金正恩の写真…金寛鎮氏がまた「救援登板」(2)

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