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韓中将軍の400年の友情、THAAD問題で危機に(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2017.03.17 10:24
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李舜臣将軍と陳リン将軍の特別な友情は丁酉再乱(慶長の乱、1597年)に遡る。1592年に始まった壬辰倭乱(文禄の役)に続く丁酉再乱の最後の戦闘である露梁(ノリャン)海戦(1598年)が戦友愛の舞台だった。この戦闘で戦死した李舜臣将軍の遺体を収容して葬儀をした主人公が明水軍都督の陳リン将軍だった。全羅南道など韓国国内には、両将軍の友情と韓中友好関係を示す遺跡が今も残っている。陳リン将軍は莞島郡古今面(コグムミョン)廟堂島に関王廟(三国志の関羽将軍の位牌を祀った霊廟)を建立した。朝鮮・顕宗の時代の1666年、関王の両側に李舜臣将軍と陳リン将軍の肖像を置いたが、日本植民地時代に関王廟は廃虚になった。

海南郡山二面皇朝村には、陳リン将軍の子孫70余人が集まって暮らす広東陳氏の村がある。明が滅んで清の時代、朝鮮に入った陳リン将軍の孫からここに定着した。

 
両将軍の友情から始まった韓中友好関係はその間、両国の地方自治体を中心に綿々と受け継がれてきた。陳リン将軍の子孫は2015年10月に忠武祠を訪れ、莞島郡は同年12月に中国で開催された「陳リン将軍国際学術会議」に出席した。99年に広東省翁源県と姉妹提携を結んだ海南郡は毎年、鳴梁大捷祭りに子孫を招待してきた。陳リン将軍の子孫は毎年この祭りで李舜臣将軍の子孫と会い「一族の友情」を分かち合っている。

このように日本(倭)を相手に戦った李舜臣将軍と陳リン将軍の友情は400年以上も続いているが、中国政府の最近のTHAAD報復で危機を迎えている。

海南では17日に陳リン将軍の下賜品が展示された「鳴梁大捷海戦史記念館」が開館するが、子孫の訪問は難しくなった。南海郡が忠武公殉国公園に建設している「殉国の壁」には露梁海戦に参戦した陳リン将軍とトウ子龍将軍が描かれている。

チン・ヒョンモ会長は「露梁海戦で李舜臣将軍と陳リン将軍が力を合わせたように、韓中政府が対話と協力を通じてTHAAD葛藤を終えて友好的な関係を回復することを願う」と語った。


韓中将軍の400年の友情、THAAD問題で危機に(1)

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