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【中央時評】朴正熙がいなければ金大中もいない(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.07.17 15:58
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純血主義で見るなら、毛沢東は完ぺきな指導者だ。25歳で共産革命を決心し、勇気と知略で共産主義中国を建設した。しかし、その毛沢東はどんな過ちを犯しただろうか。大躍進運動という虚像で数千万人が飢死した。文化大革命という狂気で中国大陸が10年間、暗黒期を過ごした。盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領は中国を訪問した際、最も尊敬する中国の指導者に毛沢東を選んだ。純血だけを記憶し、ぞっとするような失敗は見えなかったのだ。

最も理想的な形態は「純血と成功」であろう。しかし造物主が不完全につくった人間の世の中でそのような組み合わせは非常に珍しい。ドラマはほとんどが「濁血と成功」または「純血と失敗」だ。国家という共同体で最も重要なのは国民が豊かに暮らし、自由を享受することだ。結果的にそのような実を結んだとすれば、その木は良い巨木ではないだろうか。枝が濁血でも幹が真っ直ぐなら、そのような木を認めるべきではないだろうか。

 
そのような木を認める賢明な国民がいる。ナポレオンも純血主義的な指導者ではなかった。彼の祖国コルシカはフランスの植民地であり、父は独立闘士だった。しかしナポレオンはフランス陸軍士官学校を選んだ。植民母国の心臓部に入って砲兵将校となり、フランス革命政府側に立った。後に皇帝となり、独裁政治でフランスを近代国家にした。

リー・クアンユーはシンガポール近代化の父だ。彼が育つ時、シンガポールは英国の植民地だった。しかし彼もナポレオンのように植民母国の心臓部ロンドンに行った。彼は弁護士になり、祖国に戻って愛国的な独裁で国を大きく発展させた。コルシカ住民とシンガポール国民はナポレオンとリー・クアンユーを「濁血」だと非難しない。

歴史は流れる水のように元に戻すことはできない。そして歴史の因果関係は鉄筋のように切り出すことはできない。朴正熙がいなければ維新政権の第2人者、金鍾泌(キム・ジョンピル)もいなかったはずだ。なら1997年の金大中(キム・デジュン)-金鍾泌連合(DJP)もなかっただろう。金大中政権がなかったとすれば今の洪翼杓議員もいない。

韓国の現代史から朴正熙を切り離すことは不可能なことだ。彼を切り離せば現代史全体がもつれる。李承晩も金大中も同じだ。鬼胎発言が深刻なのは、育っていく世代に「歴史は切り離せる」と間違ったことを教えるおそれがあるからだ。朴正熙がいなければ金大中もいない。

キム・ジン論説委員・政治専門記者


【中央時評】朴正熙がいなければ金大中もいない(1)

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