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【コラム】李承晩と朴槿恵、そして韓国経済(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2016.11.28 13:03
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1960年4月26日。その日は李承晩(イ・スンマン)大統領が「国民が望むならば退く」として自主的に辞任した日だ。4・19革命からちょうど1週間ぶりだった。私は当時幼かった。世の中のことは何もわからなかった時だった。しかしソウル市内のあちこちで学生が大規模反政府デモをし、政府が彼らを銃で防ごうとして多くの死傷者を出したという新聞報道に、幼心にも何か政府の過ちがあったのではと感じないことはなかった。

自主的に辞任した日の午後、李大統領が景武台(キョンムデ、現在の青瓦台)から梨花荘(イファジャン)に引っ越すといううわさに人々が梨花荘に集まった。私も大人たちに連れられそこに行ってみた。李大統領が手を振るとすぐに多くの人が歓呼して涙を流した。老大統領の目頭も熱くなったように見えた。現場にいた多くの人たちは、李承晩大統領が国民を愛していなかったならデモ隊に向けた発砲を止めただろうか、また自主的に辞任しただろうかと李大統領の肩を持つようだった。何よりも李大統領の後悔する姿に人々は憐憫の情を感じるようだった。

 
李承晩大統領の話を長くしたのは朴槿恵(パク・クネ)大統領のためだ。朴大統領が1日も早く自主的に辞任したら良いだろう。そうでなければ相次ぐ各種暴露に国の品格はますます落ち、大統領個人も耐えるのが難しくなるためだ。

さらに心配なのは危機に置かれた韓国経済と庶民の家計だ。私たちが経験している低成長と二極化を克服するのはだれがやっても容易ではない。しかも植物大統領の手にはとても負えない。

振り返れば韓国現代史に一時代を終え新しい時代への変曲点をもたらした事件にはいつも経済問題があった。

4・19革命の背景には韓国戦争(朝鮮戦争)後に疲弊した経済で苦しむ国民がいた。当時韓国は1人当たり国民所得が100ドル未満で、米国に依存する援助経済だった。援助物資は政経癒着で主に既得権層が持って行った。こうした状況で国民は野党の「生きていけない、変えよう」に歓呼した。それでも李承晩政権は経済復興の代わりに不正選挙で政権延長を試み4・19革命を招いたのだ。


【コラム】李承晩と朴槿恵、そして韓国経済(2)

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