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【中央時評】平昌五輪が残した宿題(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2018.02.23 15:23
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今この瞬間にも、以前の発展国家時代にしか通用しなかったような規制権力が平昌と江陵(カンヌン)の魅力発散の機会をあちこちで奪っている。一つ例をあげよう。今、平昌と江陵一帯にいる数万人のオリンピック観光客は世界中どこででも使えるグーグルマップとウーバー(共有タクシー)を使うことはできない。彼らがウーバーとグーグルマップを持たずに江原道(カンウォンド)の隅々にある魅力の場所を訪ね歩いていくことは事実上不可能だが、グーグルマップとウーバーは韓国の官僚の手によって遮られている。官僚が幾重にも張り巡らした規定と手続きの迷路で道に迷ったウーバーは韓国に上陸することさえできずにいる。このような世界標準を冷遇したまま、世界の人々を月精寺(ウォルジョンサ)のモミ道に、江陵(カンヌン)コーヒーショップTERAROSAに案内する妙案をひねり出すことは難しい。あちこちで規制のネックになるような官僚と政治権力は、そろそろ一歩退くべき時だ。いま右往左往しているのは、ウーバーなく道をさ迷っているオリンピック観光客だけでない。

次に、平昌五輪で政治家と官僚組織が恥ずかしい旧態をさらす間、未来指向の明るい流れもしっかりと見えている。若いオリンピック代表選手や観衆が見せる新しい流れは国家主義の明確な退潮と自由な個人主義の発散だ。メダリストのインタビューで「大韓民国の代表として、国家の名誉のためにあるいは日本や中国を負かすために歯をくいしばって頑張った」という国家主義の叫びはこれ以上聞くことはない。選手たち自ら肉体的・精神的な限界を挑みながら楽しかったという話、メダルの色よりも重要なのは本人が最善を尽くしたという事実で、それに満足しているという話は、自由な個人主義世代が韓国社会の新たな主流になりつつあるという明るい証言だ。

 
整理して述べるなら、わずか半月前の開会式の日ですら、地球村が見ていた平昌五輪は北核脅威やテロの危険、無名の小さなスキータウンというイメージだっただろう。だが短い時間に平昌は自由で力強く若い韓国人、魅力ある自然と情報技術(IT)文化が交わったイメージに変貌した。このような劇的な反転が1本のオリンピックドラマとして終わることになるのか、あるいは韓国の民主主義と平和の新たな踏み台になるのかはまだ未知数だ。

チャン・フン/中央日報コラムニスト・中央大学教授


【中央時評】平昌五輪が残した宿題(1)

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