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<プレミア12>侍マネーより強かった、金寅植監督の「ヒューマンボール」(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.11.27 10:55
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--2回目の対決でも大谷に抑え込まれたが。

「投球数が増えれば大谷の球威が落ちることを期待した。7回は投球が高めになったが、スピードはそのままだった。それでも必ず一度はチャンスが訪れる。それを待った」

 
--投手は早めに交代し、代打は最後まで残していた。8、9回の反撃を狙っていたのか。

「そうだ。ひとまず0-3から追加失点はいけないと考えた。投手が粘り強いピッチングをした。大谷が降板して則本昂大(25、楽天)が出てきてからいけると考えた。則本も150キロ以上のボールを投げたが、大谷を相手にした後だったので打者がよく打った」

--実際、「負けてもかまわない」と思ったのでは。「何度も負けてみてこそ次に勝つ」といつも話しているが。

「(1990年に設立されたサンバンウルの指揮をした後)監督として400勝と400敗をしてみた後、野球が見えてきたという気がした。負けることを恐れてはいけない。負ければそこから学んで、早く忘れればいい。最初の日本戦で負けた後に選手たちに一言だけ話した。『早く忘れろ』と」

優勝の祝宴で金監督は頭を深く下げた。代表選手28人とコーチ6人、そのほかの支援スタッフ全員に向かって感謝の意を伝えたのだ。代表チームに初めて合流したイ・デウン(26、千葉ロッテ)は老将の姿を見て「本当に胸が熱くなる場面だった」と振り返った。

金監督は斗山ベアーズの指令塔だった2001年、有名なエピソードを残した。シーズン中に連敗が続くと、選手は気落ちしていた。金監督はこのように声を高めた。「今日だけ野球をするのか。明日また負けてもいい。いつかは勝つ」。その年斗山(トゥサン)は準プレーオフ、プレーオフ、韓国シリーズと勝ち進んで優勝した。当時、斗山には特級選手がいなかったが、選手が勢いに乗った。金監督の野球は長打中心のロングボール(longball)でも、作戦中心のスモールボール(smallball)でもない。各自の心を動かして最大限の力を作り出す、温かくて強いヒューマンボールだ。金監督が2006年WBCで4強、2009年WBCで準優勝に導いた原動力だ。

--「侍ジャパン」がうらやましかったと思うが。

「2009年WBC当時、日本が侍ジャパンを作った。我々は何の準備もできていなかった時だ。当時、私はこう言った。『ひとまず侍の刀を三枝槍で防ぐ』と。日本代表はもう体系を整えた。我々はまだそのままだ」

侍ジャパンはそれ自体がブランドになった。1月に小久保裕紀(44)を日本代表チームの専任監督に任命し、2017年WBCに備えている。プレミア12は主催国の日本の欲のため競技日程が変更されるなど大会の運営に問題が多かった。しかし韓国は日本を破り、彼らが準備していたシルクロードを踏んで優勝した。韓日戦の勝利はそれだけに痛快だった。多くのファンがマウンドに太極旗(韓国の国旗)を立てるパフォーマンスを期待したが、韓国代表は過度なアクションを自制した。金監督は「勝ったのに相手を刺激する必要はない。主将の鄭根宇がそう言った」と話して笑った。素晴らしい野球で勝ち、最後まで相手を配慮した韓国野球代表チームは「チャンピオンの品格」を見せた。

--監督のおかげで今季の最後の野球競技が素晴らしく終わった。

「ハハハ。そう思ってくれるのはありがたい。忙しいことが終われば少し休みたい。その時にコーヒー1杯でも一緒にしよう」


<プレミア12>侍マネ宁より強かった、金寅植監督の「ヒューマンボール」(1)

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