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【噴水台】明仁とマッカーサー=韓国

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2019.05.02 09:51
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「象徴としての私を受け入れ、支えてくれた国民に心から感謝します」という明仁天皇の退位の言葉を聞きながら思い出した米国人がいる。まず、リチャード・プールだ。第2次世界大戦直後、海軍少尉として日本の「平和憲法」草案作成に関与した。特に天皇関連条項だ。神だった天皇をただ「国家と国民統合の象徴(symbol)」とのみ規定した。もちろんアイデア自体は日本占領連合国軍最高司令官だったダグラス・マッカーサーから出てきたものだ。退位であれ廃位であれ何らかの形で裕仁天皇に責任を問うべきだという連合国の要求を退けた。そうしてこそ日本軍の武装解除も平和憲法も可能だと考えた。彼は秘密電文で「天皇は日本人を統合する象徴」(ニューヨークタイムズ)と書いた。

クエーカー教徒のエリザベス・ヴァイニングもいる。1946年から4年間、明仁皇太子の教師だった。自分の授業では皇太子も一般の子と同じように英語の名前(Jimmy)と呼ばれるようにした。明仁天皇が同時代の日本人よりはるかに自由主義的であり平和主義的な態度を見せたのはヴァイニングの影響ともいわれる。ヴァイニングは裕仁天皇が自分を選択したと信じた。しかし実際には米軍政の決定だ。マッカーサーがヴァイニングに教育状況を直接尋ねたりもしたという。

 
戦後の日本はこうした過程を経て築かれた。日本学研究の世界的な権威者イアン・ブルマは「平和主義は日本人を守るために外部に完全に依存させる代価を支払った。これは右派の復古主義をよみがえらせ、合意があるべきところで一つ問題をめぐる二極化した政見が台頭した。問題は憲法そのものだった」(『近代日本』)と書いている。我々は日本の不快な(または不当な)面ばかりに集中したりする。しかし理解して眺めるべき複雑微妙な脈絡もある。天皇の代替わりを見ながら思ったことだ。

コ・ジョンエ/調査報道エディター

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