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韓国最初のガールズグループは誰?

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2017.01.23 10:00
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20日、ソウル西小門で会ったキム・ミンジャ氏は「キムシスターズ活動当時、写真をたくさん撮られたので、ポーズには自信がある」言って、カメラのシャッターが押されるたびにさまざまなポーズを決めてくれた。
「船頭の舟歌が小さくなれば/三鶴島(サムハクド)の浪深くに染み渡る~」

20日ソウル大ヒョン洞(テヒョンドン)アートハウスモモで開かれたドキュメンタリー映画『茶房の青い夢』(原題、26日公開、キム・デヒョン監督)の試写会場は、一瞬、静寂に包まれた。1950年代の元祖ガールズグループ「キムシスターズ」の誕生記を描いた同作で、メンバーのキム・ミンジャ氏(76)がスクリーンから飛び出してきておばのイ・ナンヨンの歌『木浦(モクポ)の涙』を歌い始めたためだ。キム氏の夫でありハンガリーの有名ジャズミュージシャンであるトミー・ビッグ氏(79)のビブラフォン演奏も加わりながら東洋と西洋のリズムが一つに溶け合った。

 
「生まれてきたら母はイ・ナンヨン/生まれてきたら父はキム・ヘソン」というミミシスターズの楽曲の歌詞のように、キムシスターズは北朝鮮に拉致された作曲家キム・ヘソン(1911~?)と歌手イ・ナンヨン(1916~65)の間に生まれた2人の娘スクジャ(78)とエジャ(1940~87)、めいのミンジャで構成された3人組ガールズグループだ。キム・ミンジャ氏は作曲家イ・ボンリョン(1914~87)の娘でもある。1939年、韓国初のガールズグループ「チョゴリシスターズ」を結成して日本などで活動したイ・ナンヨンは、韓国戦争(朝鮮戦争)後に生計が難しくなるとプロデューサー業を手がけるようになった。

「結成当初は練習が嫌いでした。外に出て遊びたいのに英語レコードをかけながら『覚えろ』というから。それでおばは後ろにバナナを置いて、歌を全部歌えた人にだけ1つずつくれました。バナナを食べたいがために頑張っていたように思います」。試写会に先立ち、インタビューに応じたキム氏は53年米8軍での初舞台を鮮明に語ってくれた。「とても緊張していたので、一点を穴が空くくらい見つめていたら、『寄り目になっていてひどい表情だ、リラックスして笑え』と叱られました(笑)」。

キムシスターズの人気は日に日に高まっていった。ギター、ベース、ドラムを基本として、伽耶琴など国楽器まで20種類の楽器を演奏して目と耳を引きつけたおかげだ。出演料の代わりにウイスキーやチョコレートなどを受け取って市場で売り、生活費を捻出していた彼女たちは、プロデューサーのトム・ボールの目に止まり、59年米国ラスベガスへ向かった。キム・ミンジャ氏は「スターダストホテルで毎晩12時から7時まで夜通し公演を行ったが、練習よりも英語と食べ物で苦労した」と話した。

当初3カ月の契約で始まったキムシスターズの米国活動は1973年まで14年間続いた。米バラエティー番組『エド・サリヴァン・ショー』に22回も出演し、行く先々で高い人気を博した。最近のガールズグループのように「恋愛禁止令」が下されていたが、夫に会ったのもここだった。「毎年新しい楽器を披露していたのですが、私が同じホテルで公演していた夫にビブラフォンを教えてほしいと依頼したことがきっかけで恋に落ちました」。

67年キム・ミンジャ氏を皮切りにメンバーは次々結婚してそれぞれ違った道を歩むことになったが、音楽を愛する気持ちは今も変わらない。56年ハンガリー革命で自由を勝ち取り、米国に移住したトミー・ビッグ氏と会ったキム・ミンジャ氏は今ではハンガリーで夫婦一緒に舞台に立っている。「エレクトロニック音楽一色になって、米国では居場所が徐々になくなっていますが、ハンガリーは依然としてジャズ好きが多く、ステージに立つ機会が多いです。歌手を特定することはできませんが、世界を舞台にして活動している韓国歌手たちを見ると、とても誇らしいですね」。

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