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銅線通話43年、北のヘルメット警備4年…時間が避けていった板門店(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.10.28 16:43
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ここは体制競争の第一線だ。1970-80年代、漂流漁夫や軍人が北側に送還される時、韓国側が与えた服と贈り物を投げ捨て、パンツ姿に戻った。最近はこういうことがなくなったという。ある関係者は「時々、南側に向かって『金正恩元帥様、万歳』と叫ぶが、生計のためと見えて胸が痛むことが多い」と話す。

板門店は2つの顔を持つ。冷戦時代の激しい南北体制対決時期は血のにおいが漂った。76年の8・18斧蛮行事件で米軍将校が殺害された時は最悪だったという。

 
太陽政策と交流・協力の熱気で浮いた雰囲気の時期もあった。98年6月、故鄭周永(チョン・ジュヨン)現代グループ名誉会長の牛の群れの訪朝のため、中立国監視委員会会議室の横の斜面にトラックが通る臨時道路を通したりもした。北朝鮮の軍部は「我々が守った境界沿線(休戦ライン)だが、南朝鮮の財閥老人と牛の群れが踏んでいくのか」と愚痴ったという話がある。

10年近く輝いた南北間の和解ムードはもう追憶の中に消えた。4年前の北朝鮮の韓国哨戒艦「天安」挑発で5・24措置を発表すると、北朝鮮は緊張の程度を高めた。当時、板門店の北側警備兵はヘルメットにかぶりかえて出てきた。まだ脱いでいない。

京畿道坡州市郡内面に位置した板門店はソウルからわずか60キロの距離にある。平壌(ピョンヤン)からは180キロ南側だ。

ノルムンリ(板門里)と呼ばれていた村が停戦協定場所になって板門店に固まった。軍事境界線の東西800メートル、南北400メートルの長方形「共同警備区域(JSA)」は南北分断の象徴となった。

朴槿恵(パク・クネ)大統領は未来連合代表当時の2002年5月、北朝鮮を訪問して板門店に戻った。金正恩第1書記も2012年3月にここを訪れた。

「統一テバク(テバク=bonanza、大もうけ/大当たり)」を持ち出した朴大統領。そして「南北関係の突破口」が必要な金第1書記。2人の最高指導者はいつ、どのように板門店を横断できるのだろうか。


銅線通話43年、北のヘルメット警備4年…時間が避けていった板門店(1)

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    2014.10.28 16:43
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    南北直通電話とファックス。(写真=労働新聞、中央フォト)
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