주요 기사 바로가기

銅線通話43年、北のヘルメット警備4年…時間が避けていった板門店(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.10.28 16:41
0
「電話通知文というのは何か。どのように南北がやり取りするのか」。

現場取材でよく受ける質問だ。会談であれ、言い争いであれ、南北間で疎通をする時、どのようにするのか気になるということだ。先日、板門店(パンムンジョム)を訪問した際、この部分を細かく取材した。一言で、南北直通電話を通じて文書やメッセージをやり取りすると考えればよい。簡単な文書はファックスで送る。緊急な事項は相手が話すことをメモし、ソウル・平壌(ピョンヤン)に直ちに報告する。離散家族再会書類などの分厚い文書は、軍事境界線上の軍事停戦委員会の会議室などで会って伝えている。こういう場合は「板門店チャネルで交換した」という表現を使う。

 
驚かされるのは、1971年9月に5回線の南北直通電話が開通してから43年も経過したが、依然としてアナログ方式という点だ。

板門店南側の「自由の家」にある統一部前方事務所は連絡チャネルの中心軸だ。向かい側の北側の板門閣に銅線直通電話とファックスで連絡する。30日の開催を提案した南北高官級協議の回答も、北朝鮮がこの経路で送ってくると判断し、当局者は毎日神経を尖らせている。

北朝鮮は国防委員会の抗議書簡のような軍部管轄文書は別の軍事通信線を利用したりもする。板門店連絡官と呼ばれるベテラン職員は午前9時に「貴側(北朝鮮)アンニョンハシムニカ」と「開始通話」をし、午後4時には「締め切り通話」をする。時々「今日は伝達事項があるので待機してください」と北側が要請すれば、「延長勤務」に入る。何か重大な発表が出てくる可能性があるからだ。秘密内容が多いため「連絡官は口がない」という声が出るほどだ。

南北軍と国連司令部が共存する板門店は、一般の人は接近できない地域だ。2005年7月の軍事実務会談当時、北側団長のユ・ヨンチョル人民武力部大佐が脳卒中で運ばれたことがある。彼を乗せた韓国軍の救急車が軍事境界線を越える状況にまでなったが、当時メディアには一行も掲載されなかった。それほど厳重保安が可能なところだ。

より多くの秘密を板門店は知っている。7・4南北共同声明当時、対北密使の李厚洛(イ・フラク)中央情報部長は72年5月2日に板門店を越えて金日成(キム・イルソン)主席に会った。同月29日、朴成哲(パク・ソンチョル)南北調節委員会北側委員長代理は青瓦台に来て朴正熙(パク・ジョンヒ)大統領と会談した。

2000年の最初の首脳会談で水面下の主役となった林東源(イム・ドンウォン)国家情報院長も会談開催の1カ月前の同年5月、ここを通って訪朝した。どれほどの南北の人たちが行き来したのか、今は誰が行き来するのか、板門店は硬く口を閉じている。


銅線通話43年、北のヘルメット警備4年…時間が避けていった板門店(2)

関連記事

最新記事

    もっと見る 0 / 0

    포토뷰어

    銅線通話43年、北のヘルメット警備4年…時間が避けていった板門店(1)

    2014.10.28 16:41
    뉴스 메뉴 보기
    金正恩第1書記が2012年3月、板門店北側の板門閣で南側地域を眺めている。(写真=労働新聞、中央フォト)
    TOP