<中央時評>国際社会の笑い物になる盧武鉉政府の「民族共助」

<中央時評>国際社会の笑い物になる盧武鉉政府の「民族共助」

2006年07月18日17時04分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
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  盧武鉉(ノ・ムヒョン)政府の‘民族外交’に国内・海外で赤信号が灯っている。 国連安保理決議で、北朝鮮の核およびミサイル問題が「北朝鮮-米国」ではなく「北朝鮮-国際社会」の構図に変わり、「民族共助」の意味が薄れている。 今後、国際社会の対北朝鮮圧力に連動して行動を共にすることも難しく、かといって国際社会の流れを拒否して北朝鮮をかばうこともできない、深刻なジレンマに陥ったのだ。

   実際、安保理の対北朝鮮決議は緩和されたとはいえ、その強度は意外に強い。 北朝鮮に対して6カ国協議に入る道を開いただけで、それ以外のいかなる挑戦的行為も制裁がともなうよう多者の枠組みによる‘網’がかけられている。 韓国の仲裁が入り込む余地はなく、朝米対話や金融制裁緩和などの前提条件ももはや意味を失った状況だ。 核およびミサイル問題とは別に南北間経済協力事業が持続したとしても、その透明性に対する国際的の視線は避けられない。

   安保理決議に続いて主要国(G8)首脳らの対北朝鮮要求声明など国際社会の断固たる対処で北朝鮮はがけっぷちに追い込まれ、最後まで説得に注力した中国も体面を汚した。 しかし何といっても最もダメージが大きかったのは韓国の盧武鉉政府。 「北朝鮮ミサイル発射は特定の誰かを狙ったものではなく、安保上の非常事態ではない政治的事件だ」という青瓦台(チョンワデ、大統領府)側の強弁は、国際社会の笑い物になっている。 ミサイルを発射した北朝鮮よりも、これに対する日本の過敏反応を叱責、問題視するとんでもない本末転倒に、盧大統領と外交安保チームは国民の信頼はもちろん、対外的な信頼までも失った。

   盧政府の「民族外交」は誰からも歓迎されない「除け者外交」に帰着している。 北朝鮮ミサイルの最大当事者は韓国であるが、米国と日本は対北朝鮮決議案の立案過程で事前協議もしなかった。 中国とロシアは両国間で修正決議案を作成し、韓国政府に支持してほしいという事後通報があっただけだ。 北朝鮮は「核とミサイルは米国との問題だ」とし、韓国側とは経済協力問題だけを議論しようと固執している。 米日も、中ロも、われわれが抱き込もうとする北朝鮮さえも、われわれの味方ではないのだ。

   民族共助の太陽(包容)政策は、北朝鮮を変化させるよりも、韓国の安保意識と国家アイデンティティーを揺るがし‘南南葛藤’を助長した側面が大きい。 あたかも韓国人民の赤化が終わったかのように、北朝鮮が次第に傲慢になっているのもこのためだ。 北朝鮮は、南北海外7000万人の民族と民族意識をあらゆる問題解決の出発点として前面に押し出している。 しかし一民族二国家間の共助は民族意識や民族情緒ではなく、国家対国家間のゲームルールが基礎にならなければならない。 同族間の感性的接近は実体ではなく盲目に近い。 民族はあっても国がない悲しみを体験し、民族という言葉にとりわけ弱くなった社会であるほど、感性的になり、政治に悪用される危険性が高い。

   分断当時の東西ドイツは一定の規則の下、自由に出入りして経済交流の幅を広め、ある日突然‘統一に奇襲’された。 重要なのはこの規則だ。 西ドイツの東ドイツ政策は統一を狙ったものではなく平和政策だった。 また東ドイツは予測可能であり、国際条約を履行する正常国家だった。 西ドイツは東ドイツの国家予算に資金を公式支援し、東ドイツは政治的に譲歩しながら、緊張緩和と協力を実現させた。

   これに対し、北朝鮮は破産状態であるうえ、外交的に孤立しており、国際条約を違反する予測不能な国家だ。 規則に基づく国家対国家の外交が難しい相手を民族共助で抱き込む過程で、盧武鉉外交の持つナンセンスと無理が出てきた。 民族という排他的単一性よりも、多民族、多言語、多宗教の開かれた多様性が調和する時に国家の活力が極大化されるグローバル時代だ。 民族よりは人類に接近し、人権を重視する時、外交の品格も国の格も高まる。 これ以上、民族共助がわれわれの生活の基礎である大韓民国を揺さぶり、大韓民国の外交を国際的な笑い物にしてはならない。 韓民族よりも国家、大韓民国が優先されなければならない。

  

  

  ▶<ニュース特集>北朝鮮ミサイル問題
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