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「私は歌手だ」とアイドル韓流

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2011.06.20 11:30
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最近韓国の音楽の熱気はいつになく熱い。MBC「私は歌手だ」が国民的番組に浮上したのに続き、アイドルスターは欧州発の韓流に火をつけた。往年の歌手までまた注目されている。多様なジャンルと世代の音楽が共存する最近ではめったに見られない光景だ。

「私は歌手だ」は芸術の序列化に対する根本的な疑問にもかかわらず、健闘を続けている。プロフェッショナルの正々堂々とした対決という「公正社会」的渇望に、「聴く音楽」の魅力に大衆がすっかりはまった。普段テレビとは距離が遠かった実力派ミュージシャンが拍手を浴びた。編曲の妙味、舞台演出など大衆が音楽を経験する幅もやはり広くなった。「私は歌手だ」の妖精パク・ジョンヒョンはデビュー後初めてのCMを撮り、脱落者キム・ヨンウのコンサートも一瞬のうちにチケットが売り切れた。毎週デジタル音源市場はこれらのミッション曲が掌握する。とてつもない効果だ。

 
これに対し世界舞台ではアイドルパワーが激しい。フランス・パリのSMコンサートで、まさかと思われた欧州での韓流を立証してみせた。いまのところは状況を冷静に見守っているフランスのメディアも、K-POPを米アイドルグループのジョナスブラザーズやJ-POP、米国のバンドと同格に置いている。今回のSMコンサート開催に大きな役割を果たしたフランス韓流ファンサークル「コリアンコネクション」は今月30日、ある劇場を借りて韓国ドラマを16時間にわたって鑑賞する上映会を準備中だ。

とにかく大衆音楽をめぐるこうした内外の風景は産業的活力と大衆の積極的呼応という点で2000年代初中盤の韓国映画好況期を思い出させる。韓国社会を圧縮した問題作が連日1000万人の興行記録を作り、海外の映画祭でも善戦した時の話だ。

しかしこの5~6年の映画界の現実は隔世の感を覚えさせる。長期沈滞の泥沼に回復の兆しが見られない。好況期にバブルのようにあふれた無責任で安易な企画が興行不振や観客離れを生んだ。続いて安全重視の制作が繰り返され、制作の創意性も失踪した。

まだ愚かな予断かもしれないが、せっかく好機を迎えた韓国の大衆音楽が韓国映画の前轍を踏んではいけないという指摘だ。「私は歌手だ」突風とアイドル韓流という成果を韓国の音楽産業発展の契機にする方法を見つけなければならないということだ。

まずは「私は歌手だ」で確認された多様な音楽に対する需要を、多様な音楽の共存に連係させる制度的装置が必要だ。地上波放送は剣闘士型の「私は歌手だ」以外の多様な音楽番組に積極的に投資しなければならない。公演活性化も重要だ。西欧の事例が見せるようにいまや音楽市場はデジタル音源販売と公演を2つの軸にしている。「私は歌手だ」のファンの足が「私は歌手だ」を超えて実際の公演会場につながらなければならない。そうした点で22日にオープンする韓国初の大衆音楽専門公演会場(オリンピックホール)は大きな役割が期待される。

さらに韓流を「文化的征服」と同一視する過度な陶酔感を振り払い、フランスのファンと通じ合ったK-POPの要諦に対する真摯な議論と探求が必要だ。そうしてこそ真の文化的交流として韓流の持続可能なモデルも見つけられるだろうという話だ。

ヤン・ソンヒ文化スポーツ部門次長

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