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5倍収穫コメの新品種でアジア飢謹解決…韓国「統一稲」誕生にも影響

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.10.28 16:31
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毎年この時期になると秋モミの買入れ価格をめぐって政府と農家が綱引きをする。だが今年は来年に近づくコメのクォーター制廃止がさらに熱いイシューだ。いくら高い関税を課してもコメの輸入が急増するだろうという憂慮のためだ。第3世界諸国にコメが不足して飢謹を憂慮していた1950年代とは余りにも違う世の中だ。

20世紀は農業革命の時代だった。主な作物の面積あたりの平均産出量が以前よりも4~5倍増加した。現在、全世界のコメの生産量は年間5億トンを超える。品種改良がなければ不可能だった。60年代にフィリピンの国際米作研究所(IRRI)で働いたピーター・ジェニングスと張徳慈がその軸を磨いた。IRRIは米国ロックフェラー財団がコメの品種改良のために設立した研究所だ。ジェニングスと張は61年10月、設立準備中に合流した。ジェニングスは稲の育種家、台湾出身の張は遺伝学者だった。

 
研究を始めた初年度である62年、IRRIは計6967の品種を集めた。ジェニングスはこれらの交雑種をいち早く大量に作ることができる方法を考案した。はさみで稲の花のおしべを除去して翌日別の品種のおしべをはたき入れて受精させる技法だった。張はこのようにした交雑種を研究して稲の高さが正確にメンデルの遺伝法則に従っているという事実を初めて知った。台湾の優秀品種の収穫量が良い理由は、背が低いためにあまり倒れなかったからだ。稲の重要な性質の大部分は高さと関係なく遺伝した。

62年にジェニングスと張の研究結果を基に、背の高い稲と低い稲を混ぜて38の交雑種を作った。そのうち8回目の交雑種のコメ粒を利用して新しいコメの品種を披露した。

結果は大成功だった。新しい品種は肥料を与えなくても在来種の5倍(1ヘクタールあたり5トン)の収穫を出した。肥料を与えれば10倍の収穫を出すこともあった。このニュースを初めて聞いたフィリピンのマルコス大統領は「冗談ではないのか」と反問したという。

この「奇跡のコメ」は66年末にIR8という名前で公式発売された。この品種のおかげでインド・パキスタンは大飢饉の危機から抜け出した。フィリピンは68年、コメ輸出国に変身した。韓国のホ・ムンホェ博士はジェニングスと張の方法を新品種を交雑する方式で発展させた。その結果が今日の統一稲だ。

ジェニングスと張のコンビの活躍のおかげでコメ飢謹はなくなった。韓国は耕地が減っても着実に年400万トンの収穫を維持できた。だが逆効果もあらわれた。単一品種の大量耕作が増えて在来種がかなり消えてしまった。国家間のコメ取引が急増して貿易紛争を引き起こしたりもする。農薬や肥料に対する依存性も高まった。だが各国のコメ育種家は依然として地域的な要求と生態環境に合う品種・農法改良のために努めている。彼らこそ見えない所で現代社会を支える真の英雄だ。気候変化の克服や食糧安保も、彼らがいなければ空念仏に終わるだろう。

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    2014.10.28 16:31
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    ピーター・ジェニングス氏(左側)と張徳慈氏
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