【噴水台】韓国が日本を支配した後「侵略でない」と言えば…
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.04.26 14:04
ある会社員がいた。出勤の途中、地下鉄駅の階段に毎日もの乞いをするホームレスが座っていた。1週間に1回ずつこのホームレスに紙幣を積善した。3年が過ぎたある日、ホームレスが頭を上げて会社員に話した。「先生、一昨年は1万ウォンをくださったのに、昨年は5000ウォン、そして今年は1000ウォンとは、どういうことですか」。会社員が答えた。「私はその間に結婚をして子どもまでいるので…」。ホームレスは怒った表情でこう返した。「いや、では私のお金で家族を養うということですか」。
一瞬、正しい言葉のように聞こえる。周期的に受けてきたので自分のものと感じていたのだ。私のお金で自分の家族を養う? という反感が生じるものかもしれない。しかし本来は誰のものか考えればすぐに答えが出てくる。こういう問答がユーモアならまだしも、実際に再現されれば問題が深刻化する。意図的に便利なものだけ取捨選択する詭弁の弊害だ。
1990年代後半の東京特派員時代、自民党の国会議員2人と一緒に食事をしたことがある。ある議員が日帝時代の植民地の朝鮮であった強制徴兵について釈明したその言葉を今でも忘れない。「当時、私たちも家に赤紙(徴集令状)が送られてくれば否応なく戦場に引き出された」。植民地だけでなく内地(日本本土)の日本人も戦場に連れ出されたのだから差別したのではない、という意味だった。果たしてそうだろうか。韓国人と日本高齢者世代の間のこの上なく大きな認識の違いを実感した。