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【コラム】文在寅のワシントン、ものすごい力説の場面(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2017.07.06 10:28
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この一文は文在寅の独占的言語だ。文在寅だけが生産することができる。米国歴史で「長津(Chosin)の戦いは最悪の敗北だが偉大な敗北」だ。「Chosin」は長津の日本語の発音だ。1950年11月、咸鏡南道(ハムギョンナムド)長津湖付近で米軍第1海兵師団は包囲された。相手側は中国軍7師団。零下30度の寒さでの悪戦苦闘だった。米軍は長津湖〔蓋馬(ケマ)高原近隣〕→咸興(ハムフン)→(東海)興南埠頭まで退路を確保した。偉大なのは人道主義的同情心の発動だ。韓国民間人10万人が共に脱出した。避難船(メロディス・ビクトリー号)に文大統領の両親も乗っていた。

長津湖記念碑を立てた人は報勲処長当時の朴勝椿(パク・スンチュン)だ。記念碑支援予算は曲折を経た。2014年、予算案〔3億ウォン(約2946万円)〕が国会政務委で削減された。朴勝椿は鄭宇沢(チョン・ウテク)政務委員長室に駆けつけた。彼は書類を投げて抗議した。与野党の議員は彼をこらしめた。「国会を無視する」という叱責だった。削減は野党(今は民主党)が主導した。与党(当時セヌリ党)は怠けた。韓米同盟の象徴物の保護に迷っていた。“ウェルビーイング保守”は価値闘争に卑怯だ。5月4日記念碑竣工・除幕式があった。その直後、文在寅政権が発足した。朴勝椿は更迭された。「あなたのための行進曲」提唱反対のためだった。朴勝椿の執念は文在寅の外交舞台を輝かせた。微妙な力説だ。

 
トランプは非公開執務室を文大統領に見せた。ホワイトハウス3階のトリーティー(Treaty)ルームだ。それは破格的歓待で紹介された。1898年8月、そこで米国・スペインの平和協定署名式があった。署名式の風景を描いた絵がかかっている。その絵がトリーティールームを圧倒する。戦争の背景に米国戦艦メイン号沈没事件がある。事件は米海軍の操作論争に長い間巻き込まれていた。だが、その絵は退出しなかった。トリーティールームは1960年代初め、ケネディ大統領時代にリーモデリングした。歴代米国大統領は歴史の連続性とダイナミズムを重視する。

歴史は常に直進するわけではない。力説の波乱の前では迂回する。有能な指導者は力説を見抜いて利用する。その力量は歴史の均衡感覚から出る。功績と過失を扱う技量が必要だ。リーダーシップは過去を探索し、分類する。功績を温故知新とする。失敗は反面教師だ。米国の大統領文化はそのような知恵を持っている。中国の鄧小平は歴史洞察の模範だ。習近平主席もそのような歴史意識に忠実だ。文大統領は「李明博・朴槿恵(パク・クネ)政府だけでなく、金大中(キム・デジュン)・盧武鉉政府まで全体を省察して成功の道に歩んでいく」とした。歴史の均衡感覚はその結実を保障する。

パク・ボギュン/コラムニスト・論説委員


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