【噴水台】靖国の奇怪な合祀

【噴水台】靖国の奇怪な合祀

2018年08月11日13時16分
[ⓒ 中央SUNDAY/中央日報日本語版]
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  8月15日の光復節(日本による植民地支配からの解放記念日)が近づくたびに心に引っかかることがある。今でも靖国神社に無断合祀されている約2万1000人の強制徴用韓国人だ。この人たちの位牌は遺族の意向と関係なく一方的に靖国神社にA級戦犯の位牌と共に合祀されている。強制徴用被害者の位牌を抜いてほしいと子孫は絶えず要求してきたが、靖国側は拒否している。何度か訴訟も起こしたが、日本の裁判所は「宗教の自由」の問題として棄却した。一方、日本国内では靖国神社から戦犯の位牌を移して健全な追悼施設に変えようという意見があったが、黙殺されている。

  これほどになると怒りを越えて疑問を抱く。韓国人徴用被害者の位牌を抜くことがどうしてそれほど不都合であり、また戦犯の位牌だけを移すことがどうしてそれほど難しく非難と抗議の中で維持し続けるのか。これに対して靖国側は「一度合祀された魂は分離できない」という論理を前に出すという。韓日近代交流史の専門家イ・ジョンガク教授によると、、合祀された魂は「壷で混ぜ合わさった水」と同じで「問題になる人たちだけの水を別に取り出すことは不可能」というのが彼らの論理ということだ。

  この言葉を初めて聞いた時は身震いした。「自由をください/短い生も終わりに近づき/いま望むものはそれだけ/生きても死んでも縛られない魂」というエミリー・ブロンテの詩句のように、私たちは人間が拘束の多い現実と肉体を離れる時、魂だけでも自由で独立的であることを望む。ところが靖国の韓国人徴用被害者は生きていても強制的に軍国主義の付属品として動員され、死去してからも魂が戦犯と一つの塊になって戦争美化の対象として崇拝されることを強要されている。これこそまさに全体主義だ。個人の尊厳と自由に対する最悪の象徴的抹殺形態だ。

  果たして日本人はこうした全体主義の付属品になることに同意するのだろうか。その間、靖国合祀および参拝反対デモに韓国人と共に行動してきた日本の市民団体があるように、靖国問題の本質を見抜いている日本人も少なくない。ふと、李御寧(イ・オリョン)初代文化部長官が数年前に筆者のインタビューで述べた言葉を思い出した。李氏は日本人も光復節を「解放の日」として祝わなければなければいけない、神風などで自国民を死で追い込んだ軍国主義政府から解放された日として韓国人と共に祝祭を開かなければならない、と語った。そのような日がくることを願う。

  ムン・ソヨン/コリア中央デイリー文化部長
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