南大門欠陥復元1911日の備忘録<上>職人は無力だった(2)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.12.02 14:32
結局、崇礼門の塗装はにかわを使用した後、表面に桐油を上塗りする形で2012年6月に最終決定した。ホンさんは中央日報の取材陣に「40年間ほど作業をしてきた私も初めての方法」とし「伝統技法でするべきだという諮問団の意見が強く、受け入れるしかなかった」と話した。
ホンさんは15歳の時にこの仕事を始め、昌慶宮文政殿、景福宮慶会楼、徳寿宮中華殿、景福宮勤政殿など国内の主要宮廷・寺院の色彩を担当してきた重要無形文化財(第48号)だ。ホンさんの主張に対し、復旧団諮問委員長だったパク・オンゴン弘益大名誉教授は「諮問団会議が一方的に決めたのではなく、専門家から幅広く意見を聞いて総合的に決めた」と話した。
崇礼門復旧団全体会議録(計34回)によると、会議参加者で職人が明記されたのは7回だけだった。崇礼門工事に参加したある職人は「諮問団会議に参加しろと言われて行ったところ、名札もなく、後ろに座れと言われ、非常に不快感を感じた。発言権もなかった」と話した。