大邱純宗皇帝の御駕道、親日論争が起こる理由は?=韓国
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2017.09.01 08:39
1909年1月7日、大邱(テグ)駅。3万人の人々が駅の付近に集まった。ソウルから8時間ほど宮廷列車に乗って到着した大韓帝国の最後の皇帝である純宗(スンジョン)を見るためだった。当時、大邱市民は純宗が通る道の前にうつ伏せになって涙を流したと伝えられる。各自ふとんなどを持ってきて純宗が通る道に敷いたという。純宗はこの日、一日間大邱駅から達城(タルソン)土城まで2.1キロメートルを巡幸した。
2017年4月、純宗の南巡幸が純宗皇帝の御駕道として誕生した。大邱中区(チュング)庁は4年間、70億ウォン(約6億8500万円)を投じて中区寿昌洞(スチャンドン)・仁橋洞(インギョドン)一帯を純宗皇帝の御駕道に作った。南巡(ナムスン)歴史空間を作って達城公園には純宗の銅像を建てた。