【コラム】自殺問題解決の韓日戦でも開こう

【コラム】自殺問題解決の韓日戦でも開こう

2016年10月22日14時07分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
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  「生活の香り」というコラム欄にふさわしい文章を書きたいが、筆者の感性が干からびたのか、それとも余裕のない社会の現実のためか、以前のように潤いのある文章を書きにくくなったことを時々感じる。現実の本当の生活は美しい香りだけでなく苦痛の香りも混ざっていると自らを合理化したりもするが、それでも虚しさは残る。

  例えば「毎年秋がくると」のような表現の後に「秋の情緒や過去の思い出に浸る」というような文章を結びつけることができればよいが、危機の時代に生きているためか、「毎年秋がくると」の次に「発表される自殺率統計に緊張する」という重い話をつなぐ自分の姿を発見する。実際、年間1万4000人近い自殺者が発生するこの現実が危機でなければ何であろうか。研究テーマの一つが自殺予防という理由から、前年度の死亡原因統計が発表される秋がくると、他の自殺問題専門家・研究者と同じように緊張して注目する。

  先月発表された2015年自殺関連統計を見ると、前年に比べ自殺者数は1万3836人から1万3513人へと2.3%減り、人口10万人あたりの自殺者数で表す自殺率は25.8に小幅減少した。しかし依然として経済協力開発機構(OECD)国家平均自殺率12.0と比べると圧倒的に多い。ほとんどの年齢層で自殺が減少したが、最も深刻な問題である高齢者の自殺はさらに増え、70代の自殺はむしろ8.5%、80代の自殺は6.4%増えたという点で、やや低下した全体の傾向に安心することはできない。

  ここでは問題の分析と対策を取り上げたりしないが、このテーマの研究者としての個人的な思いは分け合いたい。何よりも自殺問題の深刻性に韓国社会が鈍感になっているという点を心配だ。数年前まで自殺統計発表直後に見られた警覚心が薄れ、あたかも高い自殺率が当然であるかのような無関心が広がっている。高い自殺率自体も問題だが、憂慮されるのは命の尊さに鈍感になった我々の社会の反応だ。

  問題の解決に十分に率先していない政界の責任を問わざるを得ない。間欠的な関心を越えてこの問題を最後まで解決する意志を持った議員は一人もいないようだ。しかも自殺を手段として考えてはならないのが常識だが、与党代表が合理的な過程ではなく「死ぬ」という発言をしたり、野党代表が漢江(ハンガン)飛び降りに言及する政界の姿を見て、この時代の責任性を持つべき政治家の姿に政治的な立場とは関係なく自殺予防という観点で失望する。

  それだけではない。暴力による痛ましい死を病死と規定する医師の判断を見て、自殺が広範囲な社会問題による「外因死」であることに背を向け個人レベルの「病死」であるように認識する態度に悲しむ。

  すべての責任が政府にあるわけではないが、国家的な問題に対処する政府の責任も問わざるを得ない。十数年連続で最高の自殺率という深刻な状況で、自殺問題を全面的に担当する部処が不在であるのは話にならない。保健福祉部の担当部署ではわずか担当者2人が劣悪な予算でこの巨大な問題に悪戦苦闘している。それも自殺問題だけでなく他の業務も同時に抱えているのが実情だ。自殺問題の深刻性に対する政府の認識はこういうものだ。

  我々よりはるかに高かった日本の自殺率を2002年に韓国が上回った。日本は韓国と比較にならないほど大規模な自殺予防予算を配分し、厚生省傘下の自殺担当部署を政府全体レベルの対策のために内閣府に移して対応したという点を考える必要がある。自殺問題解決の韓日戦でも開いて解決のための善意の競争でもすれば、韓国社会全体がサッカー韓日戦に関心を向けるようにこの問題に関心を持つことができるのだろうか。

  OECD自殺率トップから抜け出す方法はOECD脱退しかないようだと自嘲して嘆いたりもする。自殺率だけを低めるのは不可能であり、出生率・高齢者貧困率・生活の質など多くの問題とつながっているため、暮らしやすい世の中にすることが最終的な目標でなければいけない。

  毎年秋がくれば、自殺率の統計に胸が締めつけられない、そして秋の男の感性のマネだけでもできる秋はいつ頃くるのだろうか。

  ソン・インハン延世大教授・社会福祉学
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