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独島を守った祖先の魂を呼び起こす、蔚珍「捜討使」を再現

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2016.05.20 09:58
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朝鮮時代に「捜討使」が鬱陵島(ウルルンド)・独島(ドクト、日本名・竹島)を行き来した過程を再現する行事が慶尚北道蔚珍(ウルチン)で開かれる。

「捜討」とはある地域を捜索して討伐するという意味だ。鬱陵島捜討使とは、鬱陵島に密かに入って漁をする住民を陸地に連れ出し、日本人がいれば討伐する水軍だ。

 
朝鮮時代後期の1693年、安龍福(アン・ヨンボク)は鬱陵島に入って日本の漁夫に拉致された。安龍福は日本に連行され、朝鮮と日本の間で鬱陵島をめぐる領有権紛争があった。その後、朝鮮は水軍責任者のうち三陟営将と越松万戸(連隊長級)を捜討使に任命し、2、3年ごとに鬱陵島に派遣した。休戦ラインに配置される民政警察と似ている。

朝鮮時代前期には鬱陵島居住民を本土に移住させる消極的な刷還政策がとられた。朝廷が安龍福事件の後、積極的な捜討政策に転換したのだ。1694年に張漢相(チャン・ハンサン)が初の鬱陵島捜討使として派遣された。捜討制度は1894年に公式廃止されるまで200年間続いた。

蔚珍郡がこれを再現する。20日から3日間、箕城面邱山里邱山(クサン)港と待風軒で「蔚珍捜討使再現」行事を開く。待風軒(慶北記念物165号)はその名の通り捜討使が順風を待っていた場所だ。東海岸の邱山里にある。邱山港が鬱陵島の捜討の出港地であったことを知らせる。

ここでは三陟営将や越松万戸など捜討使一行の各種経費を調達する内訳が書かれた「完文」(1871)、「捜討節目」(1883)など古文書が発見された。これら資料は現在、安東(アンドン)韓国国学振興院に保管されている。待風軒には当時の地域状況を知らせる扁額(1851-1906年時期)も多数ある。鬱陵島に住民が居住するまで蔚珍がこれを管轄し、独島を守った証拠だ。

蔚珍文化院は嶺南大独島研究所とともに捜討使再現行事を主管する。行事は20日、フポ高の生徒と海軍・一般人で構成された80人が朝鮮時代の捜討使の服装で越松浦鎮から待風軒まで行進する仮装行列で始まる。続いて午前11時、捜討使一行は待風軒で出発を決めた後、告由祭を行う。朝鮮時代の捜討使が出港した邱山港で漁船4隻を捜討船として飾り、鬱陵島に出港するパフォーマンスをする。これとともに捜討使に協力した待風軒の住民を慰める祭りも開かれる。

フポ高校の生徒・教師52人で構成された「蔚珍捜討使後裔団」は別に江原道東海市(トンヘシ)から旅客船に乗って鬱陵島に入り、23日まで蔚珍三陟・鬱陵島など朝鮮時代の捜討使遺跡と独島を探訪する。領土守護意志を固める儀式だ。

林光元(イム・グァンウォン)蔚珍郡守は「捜討使再現行事とともに待風軒付近に記念館を設置するなど捜討文化造成事業を推進中」とし「今後、蔚珍の捜討遺跡を広く知らせ、国土防衛のための歴史教育の場へと発展させていきたい」と述べた。

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    2016.05.20 09:58
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    朝鮮時代の捜討使の服を着た学生・市民が蔚珍邱山港へ向かっている。写真は昨年の行事。(写真=蔚珍郡)
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