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80年代のソウルでゴミ急増…日本に飛んで見つけた秘法は“分離回収”(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.06.19 17:08
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1980年代後半、ソウル市民の生活水準も高まり、これに伴ってゴミ排出量も急増した。78年からソウル市専用のゴミ埋立地として使用した蘭芝島も飽和状態になっていた。ゴミの量を減らす根本的な解決策を講じなければならなかった。

89年11月、ソウル市の市民不便申告センターで勤務するキム・ジェジョン担当官を呼んだ。キム氏は仕事に対する情熱が強かった。清掃1課長を任せた。しばらくしてキム氏に会うと、不満そうな表情だった。

 
「市長、『ほかの職もたくさんあるのになぜゴミ課長なのか』と妻もぶつぶつ言っています」。

「なんということを。あなたがゴミ課長なら私もゴミ市長です。ゴミをなくすことがどれほど重要なことか…」。

実際、私は当時、「80年代の旧時代行政のゴミを片づける」という考えだった。私はゴミの量を減らす方法を考えるのに没頭した。その分野で最高権威の学者を迎え、市長室で何度も会議をしたが、これといった解決法は出てこなかった。悩んでいた時、キム・ジェジョン課長が提案した。

「市長、私を日本に送ってください。今ソウル市民の一日のゴミ排出量は2.8キロですが、日本は1.2キロにしかなりません。東京のゴミ政策は私たちより30年も先を進んでいるようです。現場に行って秘法を調べてきます」。

快く許諾した。キム課長は職員2人と15日間、昼夜を問わず東京都内を回りながら、市民はゴミをどのように捨て、清掃作業員はどのようにゴミを整理するのか観察した。積替場(埋立地に行く前ゴミを集めておくところ)、焼却場、埋立地とつながるゴミ処理システムも調べた。

日本から戻ったキム課長は「東京のゴミ政策の核心は分離回収にある」と報告した。私たちはゴミ分離回収の焦点をリサイクルに合わせることにした。すぐにゴミ政策専門家、市庁担当公務員、環境会社代表と市民団体の関係者を集め、「ゴミ減量化対策推進委員会」を構成した。

ここで一般ゴミ、リサイクル品の2つに分けて回収しようという案が出てきた。委員として参加したキム・チョンジュ大韓主婦クラブ連合会長は「リサイクル品を鉄製類・木製類・プラスチック類・瓶類などに細分して回収しよう」というアイデアを出した。

分離回収の試験団地にはソウル松坡区オリンピック選手村団地を選定した。当初はキムチを漬ける時に使う赤いゴム容器を団地の地下駐車場に並べて分離回収した。不便を感じる住民の説得は9つの女性団体が行った。メディアも分離回収試験事業を次々と紹介した。試験事業が実際の政策として定着するうえで、女性団体とメディアの力が大きかった。

分離回収を契機に、ゴミ従量制の議論も始めることができた。90年10月、市民団体・環境美化員・学界専門家らが出席した公聴会を経て、ゴミ排出量に基づいて料金を徴収する案を決定して発表した。以前は世帯の人数に基づいてゴミ回収料を徴収していた。しかし環境美化員労組の要請により猶予期間を置いた。ゴミ従量制は93年にソウルで施行され、95年に全国に拡大した。

20年前に始まったゴミ処理システムは市民と市庁、市民団体と環境美化員の協力で実現した。最近話題になっている「ガバナンス(協治)」の元祖といえる。


80年代のソウルでゴミ急増…日本に飛んで見つけた秘法は“分離回収”(2)

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    80年代のソウルでゴミ急増…日本に飛んで見つけた秘法は“分離回収”(1)

    2013.06.19 17:08
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    1990年4月10日、ソウル奉天洞で、高建ソウル市長(真ん中)がゴミ回収用リヤカーを引いている。(写真=高建元首相)
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