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【コラム】科学と技術を分離して考えよう=韓国(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2016.03.07 16:51
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その上、技術が幾何級数的に発展するこの時代に科学と技術を混同するのは危険だ。技術は人々を誤って導くバーチャルリアリティを生産するためだ。テレビやビデオゲームに出てくる木やきれいな水を見た人々は、環境に問題はないと感じるかもしれない。だが砂漠化と空気汚染が私たちを囲んでいる実状なのだ。科学の基礎である率直な真理の追求が、教育と日常生活の中心に席を占めなければならない。それでこそ私たちは長期的な発展に必要かつ適切な決定を出すことができる。私たちが科学と技術を混同すれば、私たちは技術が私たちの人生に及ぼす否定的な影響をまともに評価できなくなる。また技術の使用を統制するための戦略を探し出すことができなくなるだろう。

ビデオゲームのような技術は、人々を現実の本質から離脱させ、誤った道に導く恐れがある。また関心がほかの所にひどく注がれるので、深刻な問題に対してそれ以上体系的に考えることができない。このような技術の誤用が社会や韓国の競争力に及ぼす否定的な影響を確かめてみれば、ビデオゲームで得ることになる利潤は重要ではない。不幸にもますます多くの韓国人がコンピューターゲームで人生を浪費している。

 
私たちは社会で技術が肯定的に使われるよう技術の使用を積極的に管理し、規制しなければならない。例えば私たちは科学を活用して生徒たちがいつコンピューターを学習のために使い、いつ生徒たちにコンピューターやほかの機器の使用を許諾しないかについて規則を樹立しなければならない。コンピューターを使用できない時には生徒たちが世界について考え、解決策を創り出す活動に参加するよう義務化すべきだ。コンピューターの使用と不使用という2種類の体験の間を行き来することが素晴らしい教育効果を生む。だが、このような結果は技術の使用を通じたものではなく、ひたすら科学、特に「技術の科学(a science of technology)」を通じるだけで達成されうる。

韓国には途方もない発展の可能性がある。だが潜在力を実現するには技術の可能性について科学的に評価しなければならない。市場の需要や欲求を技術発展の原動力とするのは無責任だ。また私たちが作っていきつつある世の中で生きなければならない私達の子供たちを裏切ることだ。

技術が社会に及ぼす影響力について科学的に思考し、私たちの社会に肯定的な影響を与える技術の使用方法を選択するのは私たちが負っている倫理的な義務だ。技術の否定的な影響を綿密に把握することができなければ、どうなるだろうか。衝動的で社会の未来に対するビジョンがない韓国人が量産されることだろう。市民ではなく消費者が治める国の未来は本当に暗鬱だ。

エマニュエル・パストリッチ慶煕(キョンヒ)大国際大学教授

◆外部者執筆のコラムは中央日報の編集方針と異なる場合があります。


【コラム】科学と技術を分離して考えよう=韓国(1)

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