“会社員の伝説”金雲龍氏、中国企業がスカウト

“会社員の伝説”金雲龍氏、中国企業がスカウト

2014年01月22日15時52分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
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中国で第2の人生を始める金雲龍氏が名門クラブに通いながら集めた帽子を見せている。[中央フォト]
  金雲龍(キム・ウンヨン)氏(67)は1966年に第一製糖に入社し、昨年末ナインブリッジゴルフ場の代表を最後に引退した。なんと48年間、職場生活をした。しかしこれで終わったのではない。中国大連万達グループが白頭山付近に3300客室とスキースロープ43面、ゴルフ場54ホール規模で建設したリゾートの経営顧問およびゴルフ場社長としてスカウトされた。活動費を含めて年俸は5億ウォン(約5000万円)を超えるという。2年契約をしたため職場生活は50年となる。長く続けるのが難しく“臨時職員”と呼ばれる役員職として在職した期間だけでも19年にのぼる。

  しかし「会社員の伝説」と呼ばれる金氏のスタートは決して華麗なものではなかった。

  晋州工高を卒業し、第一製糖のバレーボール団に入社したが、ひざを痛めて3年で退部し、総務課の末端職員として事務を習い始めた。78年にはサムスン男女バスケットチームが設立され、主務として呼ばれた。当時サムスンのバスケットチームはイ・チュンヒ、キム・ヒョンジュンなどの選手めぐり現代とスカウト戦争をした。金氏はライバル会社側がスカウトされるのを避けるため現代造船所に隠しておいた選手を引き抜いたりもした。

  80年には龍仁自然農園(現エバーランド)植物課長を務めた。当時、サムスンの秘書室はこの席を「阿吾地炭田」と呼んだという。ソウルから遠く、故李秉チョル(イ・ビョンチョル)会長があまりにも木が好きなため週に1、2回はそこを訪問するが、李会長の好みに合わせるのが難しく、数人の職員が途中でやめたからだ。このため金氏にまで提案が回ってきた。金氏は木について全く知らなかったが、やってみると答えた。賭けに出たのだ。そこで誠実さが認められ、職場生活の道を悟った。

  李秉チョル会長は「木は主人の足音が好きだ。植物もしばしば行って手入れすればよく育ち、良い香りを出すが、人はどうだろうか」と助言した。金氏は「人に真剣に対応しようと努力し、信頼・正直の価値を学んだ」とし「職場生活をしてみると、お金の問題などが地雷畑のようだが、そのおかげで一度も事故なく過ごすことができた」と回顧した。

  サムスンがプロ野球を設立し、82年からは野球チームに呼ばれ、管理部長を引き受けた。夜中2時まで働き、午前5時に出勤した。87年には第一製糖の総務部長を務め、労使関係を担当した。社会のあちこちでデモが行われる時代だった。しかし第一製糖には大きな雑音がなかった。

  95年に取締役になった。取締役として在職した5年間、ショッピングモールを設立し、レトルト米飯を機内食のビビンパメニューに入れるなどの成果で4回も営業大賞を受けた。

  2000年にCJがナインブリッジゴルフ場をオープンすると、また呼ばれた。金氏は「スポーツ経歴はもちろんゴルフ場に必要な造景や営業・マーケティングも経験したので、適任者と見なされたようだ」と話した。

  忙しい中、勉強も怠らなかった。50歳代で学士を取得し、修士・名誉博士学位まで受けた。金氏はバレーボールで仕事を始め、バスケットボールと野球を経てゴルフに乗り換えた。ますます小さいボールに向かっているが、仕事場で得た教訓は決して小さくなかった。

  金氏は「バレーボール選手生活では『努力をすれば必ず報われる』という教訓を得たし、野球チームで仕事をする時は一つのポジションではわずか1人、すなわちトップだけが生き残るということを悟った」と述べた。金氏は「職場生活をうまく、長く続けるには、創意と革新のアイデアと情熱が必要だ」と述べた。
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