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【噴水台】右側歩行

2009.05.06 12:06
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設置されて40年以上、ひんむいた目にこの国の心臓部である世宗路の交差点の真ん中を守っている忠武(チュンム)公・李舜臣(イ・スンシン)将軍の銅像には古くから論難の種がひとつある。忠武公は目の高さまで掲げた長剣をしっかり握りしめている。閑散島の月が明るい夜、水楼にひとり座り、深く憂いなげいているときにも身体から離しておかなかった将軍の分身ともいえる大きな刀だ。ところでよりによって鞘を握った手が右手だ。何かのとき、左手で刀を抜いて振り回さなければならないという話なのだが、忠武公が左利きだったという記録はそのどこにもないというのが論難の始まりだ。刀を右に差すのは意思がないという意味、すなわち降参を意味する姿勢だと言いがかりをつける人も少なくない。

 
右利きなら左の腰に刀を差すのが正しい。真剣を指して通りを歩き回った日本の侍たちはそれで左側歩行をする習慣が身についた。向こう側から来る侍と刀の鞘がぶつかってけんかになる不祥事を避けるためだ。一歩進んで今日、日本の自動車が左側を通行し、したがってハンドルが右に装着されているのもこうした過去の歩行習慣から始まったという説明まで挙がる。多くの日本人がそう思っているが、根拠が確かな話ではない。

今まで私たちが当たり前のものとして受け入れてきた左側通行はこのような日本式交通規範が植民統治期間に韓国に移植されたものだ。1921年、朝鮮総督府は人も自動車もすべて左を通るよう法令で規定した。光復後、米軍政が車は右側通行に変えたが、歩行者の左側通行はそのまま残した。「人々は左の道/車や荷物は右の道/どちらもよく見て道を渡りましょう」幼稚園のときから学ぶ童謡の起源がここにある。

政府が88年続いてきた左側歩行の原則を右側歩行に変えると発表した。そうしてこそ車道に沿って歩く人が向かい来る車を見ながら歩くことができ、事故予防に有効だというのだ。人口の90%に近い右利きには右側歩行が人体属性上、合理的だという説明も付け加えられた。とりわけ左と右を分けて考えるのが好きな国で、どうして今まで不自然な通行規定に手を出さなかったのかも妙だが、果たして政府の望みどおりに交通事故が減るかについてはもう少し時間をかけてみることだ。事故率1位という汚名は左右が問題だからというより、自分より他人を配慮する心遣いが足りないところから始まったのではなかったのか。

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