【コラム】「ノー」と言える韓国(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.05.02 13:44
1891年5月、ロシアのニコライ皇太子がいとこであるギリシャ王子と日本を訪問した。人力車に乗って京都へ向かったニコライ皇太子は路上で悲惨な事件に見舞われる。警備を担当していた津田三蔵という警官が暗殺者に急変、ニコライ皇太子は彼に頭を刃物で斬りつけられたのだ。死に至りはしなかったが激しい出血と共に大きな傷を負った。
「ロシアが報復するだろう」とのうわさが広がり、日本が大騷ぎになった。天皇が東京から急いでニコライの元に駆けつけ、全学校に休校令が下された。多くの日本人が神社に集まって全快を祈り、1万通の見舞いの手紙が殺到した。犯人の故郷の金山(山形県最上郡)では「津田」姓や「三蔵」という名前を使えなくする条例が決議された。さらに1人の20代の離婚女性が「死で謝罪する」として自殺する。このような過激さのおかげか、ロシアは不問に付した。