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【噴水台】毒ガス

2002.10.30 22:26
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第1次世界大戦の真っ最中だった1915年4月22日、ベルギー北西部のイープル戦線。午後に入り砲撃を止めたドイツ軍が午後5時ごろ砲撃を再開した。

そのとき、ドイツ軍側から出た緑青色の煙が東風に乗って連合軍の陣地の方に飛んで来た。好奇心から塹壕(ざんごう)の外に顔を差し出した兵士らは、辛子の匂いをかいだ。

 
それで状況は終わった。突然兵士らが首をつかんだまま、悲鳴をあげ始めた。あちこちから助けてくれという苦しみうめく声が聞こえてきた。しかし騒乱もしばらくの間、連合軍の陣地には沈黙が流れた。

この日、ドイツ軍の塩素ガス攻撃で、連合軍側は死者5000人、負傷者1万5000人、捕虜5000人という途方もない被害を受けた。わずか数分の間におよそ2師団の兵力が壊滅したのだ。化学兵器、つまり毒ガスはこうして登場した。

しかし人間が化学兵器を使ったのは、それよりはるか前のことだというのが定説だ。すでに紀元前4世紀、アレキサンダー大王がシリアのティルス城を攻撃するとき、カリウム窒酸塩と硫黄などに火をつけて城内に打ち上げたという記録がある。

韓国にトウガラシが伝来したのも、壬辰倭乱(文禄の役)のとき、日本軍が「化学戦」のために持ち込んだという説がある。これらも広義の化学兵器だ。

第1次世界大戦以降、各国は毒ガスを競争的に開発した。1925年、化学兵器の使用を禁止したジュネーブ条約を結んだにもかかわらず、続々と新しいガスが登場した。

現在、化学兵器禁止条約(CWC)が規制している化学兵器は、神経、窒息、血液、水泡、無能力化作用剤など五つに大別される。例えば、ドイツ軍が使っていた塩素ガスは水泡作用剤、1995年、日本のオウム真理教がばらまいたサリンガスは神経作用剤だ。

しかし、化学兵器が実戦に使われたケースはそれほど多くない。2次大戦のときの1936年にイタリアがエチオピアで使ったのをはじめ、米国がベトナム戦争で枯葉剤などを散布しており、最近ではイラクが自国内のクルト族に使用した。今では「貧者の核兵器」と呼ばれる生物化学兵器は、核兵器とともに人類平和に対する最大の脅威要素になっている。    

先週、ロシアの人質事件への鎮圧作戦は、毒ガスの威力をもう一度実感させた。まだ、どんなガスが投入されたのか公開されていないが、一瞬に100余人の命を奪ったのをみると、実に驚くべき兵器だ。  

韓国が朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の核問題で「核、核」と騒ぐ前から、北朝鮮が最大4000トンの化学兵器を保有してきたという国家情報院長の発表に改めて身震いがする。こうしたABC(化学、生物学、核)兵器をなくすことこそ、韓半島、ひいては世界平和定着のABCだ。

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