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「金正日、当初は3代世襲考えず…天皇制方式を考慮」(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2016.01.18 11:44
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この著書によると、金日成主席は健康が悪化した頃、自分が最も信頼する側近10人を密かに呼び集めた。そして側近にグリップが銀の拳銃を1丁ずつ渡した。金主席は自分が死亡した後に後継者の息子(金正日)が自分の路線から逸脱してむやみに体制改革に手をつける場合、「誰でもこの銃で彼を射殺しなさい」と命令したという。条件を付けたとはいえ極端な措置を指示したのだ。

金日成のこの発言について羅教授は「改革・開放をするというのは結局、韓国が歩んだ道を一歩遅れて追うということ」とし「半世紀近い体制競争で敗北を認めることはできなかったという意味」と解釈した。中国式改革・開放を追求して最終的に殺された張成沢の運命も、こうした側面ですでに予定されていたと、この本は書いている。

 
特に80年代半ばに黄長ヨプ(ファン・ジャンヨプ)北朝鮮労働党書記と金日成主席の婿の張成沢は次のような対話をしたという。

「このままだと我々の経済は破綻しないだろうか。これをどうするべきか」(黄長ヨプ)

「そんなことは絶対にありません」(張成沢)

「何か良い方策でもあるのか」(黄長ヨプ)

「我々の経済はすでに破綻しているのに、またどうやって破綻するのですか」(張成沢)

北朝鮮は80年代末から90年代後半まで穀物生産量が急減し、配給制度が崩壊し始めた。こうした事態を予想していた黄長ヨプが金日成総合大学の弟子の張成沢に危機感を吐露すると、張成沢はこのように受け返したのだ。


「金正日、当初は3代世襲考えず…天皇制方式を考慮」(1)

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