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日本「40年代、東京から竜仁に遷都する計画だった」

2005.10.24 10:07
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▶キム・ウィワン博士



「1940年代、韓半島、満洲、台湾を支配した日本が首都(東京)を韓国の竜仁(ヨンイン)に移そうとしていた。

 
キョンウォン大学総長を務めたキム・ウィワン博士(74、大韓建設振興会長)はこれまでに収集した120件の資料を2001年国土研究院に寄贈した後、最近発刊した資料解説書でこのように明らかにした。

キム博士によると日本は1940年代の初め、15年後を目標に立案した秘密国土計画である「中央計画素案」で、京城部(ソウル)南の郊外、日本内岡山と福岡など3カ所を大東亜圏の首都移転候補地として提示した。

当時、ソウル隣近は地震もなく、国土(満洲-韓半島-日本)の中央に位置し、日本が首都立地として理想的だということだった。また新しい首都には王宮と政府機関のみ移転する計画だった。キム博士は「後に日本前職官吏らとの面談で首都移転候補地だった京城郊外とは韓国外国語大竜仁キャンパスがある渓谷一帯だったという事実を確認した」と述べた。

博士は「当時、日帝は竜仁地域測量まで終え、(旧)建設部道路課長を務めたイ・ホンギョン大韓コンソルタント会長も、解放直後、道路課の書類に測量図面があるのを見たと言っていた」と付け加えた。

中央計画素案は、日本本土と朝鮮、満洲、台湾にかけて地域別産業生産目標を提示、また内地150、朝鮮23、台湾20など計193の工業地区を指定する案を盛り込んでいる。韓半島に対しては三千浦(サムチョンポ)石油化学工業団地、釜山(プサン)~新義州(シンウィジュ)間の高速道路、三千浦~大田(テジョン)間の復線鉄道および高速道路などの建設計画を含んでいる。

しかしこのような計画は朝鮮人8百万人を満洲に強制移住させ、そこを日本農民8百万人で満たすということが前提だった。移住計画が実現した場合、日本人は韓半島人口の3分の1以上を占めることになる。キム博士は「日本が太平洋戦争で勝利すればこの計画は実現したはずで、韓国が満洲に追い出されたのは明らかだ」と述べた。

キム博士はまた解説書で、朝鮮総督府官吏の集まりである「友邦協会」の資料をもとに38~43年特別支援兵制による朝鮮人入営者が1万7663人、43年国民総動員法による強制徴用者が134万人(労務者51万5千人を含む)に達すると紹介した。

また朝鮮総督府が41年、真珠湾奇襲攻撃以後、極秘で扱った人口統計を手に入れ、44年5月1日夜の12時基準に朝鮮(韓国・北朝鮮)の世帯数は492万世代、人口は2951万7881人だったと確認した。

キム博士は55年、ソウル市都市計画専門委員を始めとし、建設交通省都市局長、国立地理院長、国土開発研究院長、キョンウォン大学都市計画学科教授などを歴任した国土政策専門家だ。

解説書全文は国土研究院ホームページ(www.krihs.re.kr)で見ることができる。

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