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澗松、1936年に現在で45億ウォン相当の白磁購入(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.01.28 11:30
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1世紀前に人生の逆転を狙った日本人にとって、京城ほどチャンスの地もなかった。日帝強制占領期間、朝鮮で最初で唯一の美術品競売会社だった京城美術倶楽部(1922~45)は創業20周年の回顧録で「1904年2月に仁川(インチョン)で海戦が起きた頃は京城の陶磁を買いとろうとする者はいなかったので現地の日本人の数は約200~300人程度で、そのうち多数は一攫千金を夢見ていて書画骨董の会のような集いはなかったようだ」と振り返った。1942年京城美術倶楽部の佐々木兆治社長が記した「朝鮮古美術業界20年の回顧-京城美術倶楽部創業20年記念誌」からだ。

この記念誌はキム・サンヨプ文化財庁文化財鑑定委員が27日に出版した『韓国美術市場史資料集』(全6巻)に収録されている。朝鮮から流入してきた日本人が青磁を再発見し、墓の副葬品を買い入れて古美術を流通して金を儲けた「古美術の黄金狂時代」の姿が鮮明だ。近代美術の競売の主役が当時を直接記録した珍しい資料だ。盗掘や密売のような文化財の収奪、古美術で富を成した事例も言及された。

 
例えばこのような形だ。「朝鮮の古くなった器を、言葉の通じない外国人に見せて2本の指を立てて見せると、すぐにその外国人は喜んで2000ウォンを渡したという。実際はせいぜい5ウォン、10ウォンで買える器を200ウォンで売るつもりだったのに、それが2000ウォンに増えたので、その某氏は後日、外国人が自分のミスを知ってお金を取り戻しに来るのではないかと心配したあげく、1カ月間仁川から逃避していたと話した」。


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    澗松、1936年に現在で45億ウォン相当の白磁購入(1)

    2015.01.28 11:30
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    写真左は1942年、今の明洞(ミョンドン)プリンスホテルの場所に建て直した京城美術倶楽部。右側は『壇園肖像』(部分)という題名で日帝強制占領期間に競売された書画。(写真=韓国美術市場資料集)
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