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【コラム】竹島に竹はない(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2012.08.21 11:37
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今年の夏はとりわけ暑く騒々しい。猛暑が去り、普通と違った五輪も終わり、ちょっと奥ゆかしく座って秋を待ってみようかと思ったところ領土問題で極東3カ国が騒々しい。国土を登記する世界登記所があるわけはないものの、他人の土地を自国の文書に堂々と載せて土地を差し出せとワンワン吠える隣国日本の無知な騒がしさに晩夏を待ちこがれた観照の時間は台無しになった。竹島は日本の土地という。竹島! 自分勝手に名前を付け自分の土地だと言い張ればそうなると思っているようだ。最近流行している『ギャグコンサート』のギャルさんに尋ねれば明らかなはずだ。「脳がありません」「脳がなければそれは人なの?」「人ではありません」これが答だ!

日本の被害意識は韓国の光復節に合わせ極に達する。1945年8月15日朝、裕仁天皇が3分間の重大放送をした。題名は「大東亜戦争終結に対する詔書」だった。このように話した。「朕は帝国政府をして米英中ソ4カ国に対しその共同宣言を受諾する旨通告せり。(中略)他国の主権を排し領土を侵すが如きはもとより朕が志にあらず(中略)敵は新たに残虐なる爆弾を使用して頻りに無辜を殺傷し惨害の及ぶところ真に測るべからざるに至る(中略)なお交戦を継続せんが終いにわが民族の滅亡を招来するのみならず、人類の文明をもまた破却すべし」(金允植、『私が生きてきた20世紀文学と思想』より)

 
加害者の降伏宣言は被害意識で埋まっている。8月6日の広島、9日の長崎への原爆投下で9万人と6万人がそれぞれ死んだ。エノラ・ゲイのポール・ティベッツ大佐は自身の母の名前を付けたB-29を操縦し何かわからない新型爆弾を広島に投下した。絶対に振り返るなという司令部の命令を破りポールは振り返った。キノコ雲がわきあがり暴風が吹いた。原爆だった。ポールは自身もわからなかったその原爆の加害で一生苦痛を受け、「他国の主権を蹂躪した」日本は被害者として残った。終戦宣言には「降伏」という単語はなかった。「残虐な爆弾」に殺傷された被害意識だけ残った。それでこの時期になると日本は「民族の滅亡を防いだ」天皇の戦士らを賛えようと靖国神社を参拝し、「朕の一億万民の領土」を回復しようともがくのだ。

自分の土地だと言い張るには名前もしっかり呼ばなければならない。日本の幕府が天然の資源の宝庫とうらやんだ独島の本来の名称は松島(ソンド)であり、竹島(チュクト)は鬱陵島(ウルルンド)だった。日本の漁民は松島に棲息するセイウチを捕まえようと遠い航路をいとわず行き来した。朝鮮政府が海を封鎖すると1696年1月に徳川幕府は政府文書「朝鮮通交大紀」にこのように記録した。「竹島(鬱陵島)と松島(独島)がその国の土地であることを疑うことはできない」と。1877年に明治政府はこれを再確認した。「竹島と松島は私たちと関係ない」(本邦関係無之)と。


【コラム】竹島に竹はない(2)

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