<崔順実ゲート>政権に振り回された韓国の文化芸術界(2)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2016.11.24 15:21
続く李明博(イ・ミョンバク)政府に入ると、今度は「報復性の更迭」の風が吹き荒れた。2008年3月、柳仁村(ユ・インチョン)文化体育観光部長官は「前政権で任命された傘下機関長は自分で判断して辞めろ」と言って実名まで挙げた。該当者がなかなか辞めないため問題が表面化すると、標的性の監査まで行われるなどその余波は後を引いた。また、映画振興委員会が芸術・独立映画支援事業を実施し、公募制を悪用して進歩的指向の映画団体を間引くという激しい反発もあった。このように、参加政府だろうが李明博政府だろうが、偏りへの反発は続いたが、少なくとも制度圏内での混乱にとどまっていた。チョン・スヨン漢陽大兼任教授は「朴槿恵政府は芸術家一人一人には排除の矛先を向け、映画『弁護人』の事例のように、個別コンテンツにまで介入しながら脅迫など不法要素まで動員した。これは偏りではなく犯罪」と強調した。
この渦中、芸術支援の指令塔である芸術委はむしろ揺れた。文芸振興院から、2005年に自律・参加・現場などを旗印に掲げた民間機構形態の芸術委に変身する時には、独立性が保障されるだろうと期待を集めていた。だが、第1期委員11人のうち芸総出身は1人に過ぎず、残りの10人が進歩派で組織されると、発足した途端に足元がふらつき始めた。すぐにジャンル別住み分け形態に対する指摘が相次いで委員間の訴訟戦にまで拡大すると、初代・金炳翼(キム・ビョンイク)委員長は中途辞任した。その後に就任した第2期金正憲(キム・ジョンホン)委員長は柳仁村長官のやり方に激しく反発し、2010年には「一つ屋根の下に2人の委員長」に発展する前代未聞の事態となった。