平準化崩した校長の手腕…“日本版旧京畿高校”日比谷高が33年ぶりに復活

平準化崩した校長の手腕…“日本版旧京畿高校”日比谷高が33年ぶりに復活

2007年03月27日08時39分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
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  高校平準化政策のスケープゴートになった日本東京の日比谷高等学校が33年ぶりに見事によみがえった。

  2001年、長沢直臣校長を迎えたことが復活の序曲だった。彼は平準化の枠を果敢に壊し、学校革新に出た。優秀教師を公開採用すると同時に修業時間を大幅に増やした。生徒たちの評価を通じてよくない教師は退出させた。生徒の実力はすくすくと伸び、今年の大学入試でそれをはっきりと立証させた。

  ◆ 33年ぶりに取り戻した栄光=日比谷高の今年の東京大学合格者は28人だった。昨年(12人)の2.3倍だ。東京大学合格者が20人を超えたのは1974年以来のことだ。早稲田、慶応、上智などの私大トップクラス合格者も最近30年間でいちばん多かった。日本のメディアは「日比谷高が公教育特性化で過去の栄光を取り戻した」と伝えた。

  東京五輪が開かれた64年、日比谷高の東京大学合格者数は193人と圧倒的な数で全国1位だった。卒業生の半数が東京大学に合格した。しかし67年、激しい入試競争と高校の序列化を阻もうという名分で導入した学群制、言い換えれば高校平準化政策で日比谷高の名声は消え始めた。名門の公立高校を選択できなくなった優秀な生徒たちは学群制が適用されない有名私立高に進んだ。93年、日比谷高からは1人しか東京大学に入れなかった。

  2001年 9月、東京都教育委が日比谷高を含む4つの公立高を「進学指導重点学校」に選定したのが新たなターニングポイントになった。高校平準化の部分撤廃だった。

  ◆ すべてはリーダーシップによる=このとき日比谷高は東京都教育庁出身の長沢校長を迎えた。彼は「日比谷ルネサンス」と呼ばれる果敢な改革政策を推進した。何より日本の公立学校では初めて独自の入試制度を取り入れた。まったく同じ試験では優秀な人材を確保できないという判断だった。2002年から全国の公立学校に週休2日制が適用されると「隙間」を攻略したのだ。既存の「1授業50分、1日6時間授業」体制を「1授業45分、1日7時間授業」に変えたのだ。修業時間の減少をそのまま受け入れれば年間140時間という授業時間が減り、土曜授業をする私立高との格差がますます広がると考えたのだ。「減った5分」を補うために出席も取らずに休み時間も徐々に1~2分ずつ減らしていった。1週間に1、2回は放課後に2時間ずつ特別授業もした。2005年からは夏休みにも講義を100コマ開設し、生徒たちが特に予備校などへ行く必要がないようにした。

  ◆ 教師評価制度を適用=長沢校長は教師らにもムチをかざした。2002年以後「進学指導重点学校」に許容された教師公募制を十分に活用した。少しでも情熱に欠ける教師は自ら学校をやめてもらった。現在、英語、数学、国語など5つの重要科目の教師の90%は公募で採用する。毎年2度にわたって生徒たちに教師らの授業内容を評価させる。ここで低い点数を受けた教師は学校をやめなければならない。

  ● 日比谷高校=1878年、東京府立第1中学校として開校した長年の伝統を誇る都立名門高。東京都心部の国会議事堂隣近にある。作家塩野七生、ノーベル医学賞受賞者利根川進氏ら名うての同窓生が政治、経済、文化界に進出している。
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