風雲児坂本龍馬の墓、「京都の靖国」に変わる(2)

風雲児坂本龍馬の墓、「京都の靖国」に変わる(2)

2018年07月04日10時19分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
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寂寞とした坂本龍馬の墓。
  案内板によるとここは当初幕末と維新過程で亡くなった人物を追慕するために1868年5月に設立された日本初の官祭施設だ。現在は300人ほどの明治維新関連人物の墓とともに太平洋戦争で戦死した東京府出身者7万3011人の英霊を奉安する。維新追慕施設に侵略戦争の犠牲者をともに奉安しているのを見ると「歴史省察」や反省どころか、侵略美化にばかり熱を上げているという感を消すことはできない。

  日本はアジアで自発的に近代化の道を歩んだ唯一の国だ。だが明治維新150周年を迎え反省や反復防止の努力、その被害者に対する配慮どころか侵略行為に対する無罪ばかり積極的に主張しているので見る人を気まずがらせるほかない。

  政府文書を保管する東京国立公文書館では「江戸幕府、最後の闘い」という展示会が開かれていた。江戸幕府も末期には改革に乗り出して行政制度と軍隊革新に向け努力したという内容が核心だった。19世紀の中国の阿片戦争だけでなく遠く欧州フランスの大革命、ナポレオン軍に対する情報まで収集した内容が際立って見えた。明治維新の過程と関連した生き生きとした史料も調べることができた。264年間日本を支配した徳川幕府が統治権を返還した1867年の大政奉還、幕府を廃止し天皇中心の政府を立てた1868年の王政復古など、歴史と関連した史料を両目で見ることができた。軍艦を建造し海軍力を増強した過程も詳しく取り上げた。明治天皇の睦仁という署名が鮮明な1889年の大日本帝国憲法詔書と昭和天皇が47年に頒布した日本国憲法(平和憲法)詔書も展示された。45年8月15日に昭和天皇が降参する時に発表した「終戦の詔書」も見えた。2つの憲法と終戦の詔書は小さな写本を作って売ることもした。問題は150年を超える長い時期の史料を生き生きと展示しながらも侵略の歴史は目をそらしているという点だ。日本の近現代史で周辺国を苦しめた事実は忘却の対象であるだけで反面教師の大常道ではないのか。

風雲児坂本龍馬の墓、「京都の靖国」に変わる(1)
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