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【コラム】文大統領が奪い取った歴史の象徴(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2018.05.31 10:52
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文在寅(ムン・ジェイン)大統領の言葉は印象的だ。「われわれはただ空から落ちてきた国ではない」。22日にワシントンの旧駐米大韓帝国公使館を訪れてした話だ。公使館はその日歴史博物館として再オープンした。

そこでこうした形の感想は実感が出る。公使館前に立てば美しい建築美に驚く。公館購入は高宗(コジョン)の思い切った勝負だった。当時の建物価格は2万5000ドル(現在の相場で127万ドル相当)。貧しい弱小国には耐え難い金額だ。だが自主外交に向け果敢な投資をした。米国には31カ国の公館があった。朝鮮もワシントンの外交街に堂々とデビューした。文大統領の説明は的確だ。「傾く国運を外交を通じて見守ろうとしていた努力だった」。

 
そこでは劇的ドラマがあふれ出た。公使館は現在の基準では大使館だ。駐米朝鮮公使(大使)は12人。朴定陽(パク・チョンヤン)、李夏栄(イ・ハヨン、代理)、李完用(イ・ワンヨン、代理)、李采淵(イ・チェヨン)、李承寿(イ・スンス、代理)、李憲稙(イ・ホンジク、代理)、パク・ヨンギュ(代理)、徐光範(ソ・グァンボム)、李範晋(イ・ボムジン)、趙民熙(チョ・ミンヒ)、申泰茂(シン・テム)、金潤晶(キム・ユンジョン)だ。1888年1月の公館開設から1905年11月の乙巳条約(外交権喪失)までだ。朝鮮は開化派のエリートを投じた。ドラマは悲劇で終わった。1910年の庚戌国恥だ。日本は5ドルで公館を強奪した。公使たちの人生は分かれた。自決、売国、自強、教育の道だ。

1880年代に中国(清)は朝鮮を属国として扱った。干渉は激しく侮辱的だった。高宗の打開策は米国を引き入れること。その力で中国を牽制する構想だ。方法は朝米修好通商条約の「居中調停(good offices)」規定。中国は高宗の意欲を妨害した。不平等な条約を結びワシントンで清国の属邦のように行動させようとした。1894年に日清戦争で中国は惨敗する。その後の自主独立外交の対象は日本だ。

公使館1階の展示物が目を引く。第9代李範晋公使が夫人と息子とともに撮った1897年の写真だ。李範晋はロシア公使に転じた。彼はそこで亡国に痛憤し自決した。10歳だった息子の李ウィ鍾(イ・ウィジョン)はワシントンで英語を学ぶ。彼はハーグ万国会議密使(通訳)となった。


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