【中央時評】建国節の論議を中止しよう=韓国(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2016.08.26 09:36
人間は分からないことがあまりにも多い。少し分かる一部を除けば全て分からない。東西の哲人たちはこの点で終始一貫している。ソクラテスが「賢い人」と呼ばれた理由は彼が「私は私が分からないということを分かっている」という点のためだった。老子は『道徳頃』で「分からないということを分かっていることが最も良い」として「分からないということが分からないのは病気」と言明する。
近年の激しい建国節の論議を見ると、私たちは誰もが重病にかかっている。分からないことを分かっていると主張し続けるだけでなく、間違えて分かっていることを国家法制まで作ろうとすれば病気でも非常に深刻な重病だ。10年前に建国節の主張が提起された時に該当主張の写実的なミスによってすぐに消えると思っていた談論が、陣営構図に乗ってますます大きくなり今では法制化を論じる危険段階にまで至った。
まず「大韓民国は、すべての国にある建国節がない国」という主張は事実でない。すべての国はさておき、建国節がある国そのものがきわめて珍しい。長年の歴史を持つ文明国家のうちでごく少数を除けば特定国家の政体の出発を記念する建国節、建国記念日がある国を探すのは難しい。自分たちの文化・文明・共同体・民族・国家の悠久なる歴史において近代・現代の特定政体の登場時点で建国基点とみなす場合、それは自分たちの連綿性と統合性、歴史性と継続性に対する自己否定となるためだ。独立・解放・光復(解放)・統一・革命を記念する文明国が建国を記念しない所以だ。いくつかの王朝や独裁体制、新生国家や全体主義体制が国家政体の全面的な新しい出発を伝えようと過去断絶のための建国記念日を制定する事例はあるが、これさえも珍しい。