<慰安婦生存者13人証言>「工場に行くといったが中国慰安所に、60年間帰れず」(2)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.09.17 10:31
翌年、妻を亡くした男性と結婚した朴さんはそれなりの暮らしをしながら3人の子どもを産んだ。しかし不幸は終わらなかった。
「しばらくはよかったが、夫が目が見えないと言い出し、手術を何度か受けて亡くなった。すると食べるものがなく、私は村の協同農場で働いたが、3年後に長男の健康が悪化し、10年間病気に苦しんで死んだ。病院費もなく借金も増えて…。次男が本当に苦労したが、どうすることもできず…」。