【コラム】花房夫妻の勇気と信頼…関釜裁判の主役

【コラム】花房夫妻の勇気と信頼…関釜裁判の主役

2018年08月09日08時48分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
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  「その方々の事情を聞いて涙がとめどなく流れました。手を差し伸べることが道理だと考えました」

  40度を前後する暑さが襲った先月初め、福岡のある住宅街。一軒家を改造した食堂「花ふさ」で会った花房恵美子さん(73)はこのように話した。最近、韓国映画『Herstory』を通じて広く知られるようになった関釜裁判を支援することになったきっかけに対する説明だった。関釜裁判は釜山(プサン)の慰安婦および勤労挺身隊被害者が日本政府を相手に起こした賠償請求訴訟だ。恵美子さんと夫の俊雄さん(74)は「関釜裁判を支援する会」を結成して原告をサポートした。

  映画では大きく扱われなかったが、専門家は裁判の主役に2人を挙げる。

  1960年代、名門の東北大学キャンパスで出会った2人は社会運動に積極的に取り組んだ。卒業後は大阪に移って労働運動に身を投じた。心身共に疲れていたころ、健康回復も兼ねて縁故のない福岡に移り住んで食堂を開いた。偶然の機会で知人を通じて恵美子さんが関釜裁判に関わるようになった。妻の後に従った俊雄さんは支援する会の事務局長を務めるなど妻以上に積極的だった。裁判支援のために繁華街で繁盛していた食堂を閑静な住宅街に移した。1円、2円と集めて被害者のための滞在費と裁判費用を工面した。2011年には福岡市内で慰安婦被害者の被害について紹介する集会も開いた。何が2人を突き動かしたのか。

  俊雄さんは「初めて被害者に会った時、日本のせいで苦痛を味わったのにあたたかく接してくださって驚いた。政府が負わない戦争責任を私個人が解決できるような方法を見つけなくてはならなかった」と語った。

  純粋な情熱で歩んできたが困難も多かった。日本右翼の非難に苦しめられ、店の経営が脅かされることもあった。韓国側の市民団体と意見が合わない時、大きな精神的苦労も経験した。それでも2人は自ら決めた原則を破ったことがない。今まで一度も欠かさず自費で毎年釜山を訪れて生存被害者とその家族に会った。今年も5月に訪問した。韓国政府次元での感謝の挨拶はなかったが、夫婦はむしろ「2015年慰安婦協議は問題で、生存者は徐々に減っているのに日韓関係は複雑化している」と被害者と両国の将来を心配した。「過去の活動を反省し、どのように整理するか悩んでいるところ」と語ったのには頭が下がった。

  福岡は日本強占期に約1万人の韓国人が強制徴用されて苛酷な苦難を強いられた麻生炭鉱があった場所だ。最近はグルメと温泉を楽しむために訪れる韓国人観光客であふれている。この矛盾した都市に生計を犠牲にしながら韓国人を支援した花房夫妻がいる。周囲の視線よりも所信を信じた花房夫妻の勇気と2人が被害者に最後まで失わなかった信頼を、これからは夫妻が心配する両国政府が示すべきときだ。

  イ・ガヨン/国際外交安保チーム記者
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